康百万荘園は中国では最も完璧に保存された古代建築群のひとつで、市内から3キロメートルの巩義市康店村に位置しています。後方の邙山にもたれ掛かり、前は洛水に臨むので、「金亀が水を探す」という美称があります。この荘園は明代中期に建てられ始めました。中国「天と人を合わせて、大自然に習う」という伝統的な文化によって居住地を選び、崖に洞窟(「ヤオトン」と呼ばれる)を掘って、町で家屋を建て、川の沿岸に埠頭を設けて、険しい坂で石塀を築いてきました。規模が雄大で、機能がそろって、構成が慎重で、区分が厳密な大規模の地主荘園です。すべての荘園は住宅区、桟房区、工場区、祠堂区、南大院、龍窩溝、金谷寨、菜園、花園など十数部分から組み立てられ、総建築面積が64,300㎡で、庭園が33ヶ所、家屋が53屋、部屋数が1300室及びヤオトン(解説参照)が73室を持っています。
康百万荘園は河南省西部の典型的な四合院風格に属し、合理的な構成、精密な設計がされ、荘厳で立派で、華麗で優雅さを備えています。北部の豪快感と豪放さと共に、南部の優美柔軟とも兼ね備え、「古、大、奇、美」を凝縮した建築群で、十七世紀の華北地区黄土高原では封建砦式の代表だと認められています。1963年6月、河南省人民政府によって「重点文物保護単位」と発表され、2001年6月、中華人民共和国国務院によって「全国重点保護文化財」に指定されました。2005年、「国家のAAAAレベル観光エリア」という評価を与えられました。
解説:中国語では、ヤオは住居用横穴、トン(洞)は奥の深い横穴を意味し、通常はヤオトンを黄土高原地区の山崖に作られた住居用洞穴として説明されています。
しかし、ヤオトンは地上住居に隣接した地下室構造の土楼建築としても多く分布しています。なお、一部の地域には 地表に円形状で、中央部が広場として利用できるような数階建て構造の土楼構造の家屋もあります。
「康百万」という呼び方は明清以来康氏の家系の通称で、西太后(道光15年10月10日- 光緒34年10月22日。清末期の権力者)によって授けられ、天下に知れ渡るようになりました。康氏家族は正直、勤勉、質素、奮闘という原則を守って、信用を重んじました。大胆に新しい領域を広げ、勇敢に新しいものを作り出して、十二代、四百年ほども繁栄していました。 商が成功した模範だと見なされています。現在の康百万荘園は、風格が独特である建築、優雅で清らかな庭園、精美で格別な彫刻、数多くのすばらしい書道作品が残されています。
「中国三大荘園」の第一(ほかの二つは、四川の「劉文彩荘園」と山東の「牟二黒荘園」です)、「明清第一の豪邸」だと誉められています。
現在、荘園には康氏歴代の子孫が使った調度品と生活用品が展示されています。家具、愛玩品、容器、文具、書画、服など珍しい文物等の3478件を含むと共に、康氏一族の贅沢な生活環境を再現するだけではなく、当時の中原地区の社会習俗も反映しています。中国の民俗、服飾、及び冶金、磁器、彫刻、紡績、刺繍などの工芸と生産技術の研究に貢献しています。多くの専門家は、視察後に、康百万荘園を「伝統建築の宝で、民間技術の模範」という評価したことがあります。