市の東郊外にあり、遼の時代の聖宗年間に建てられた塔で、またの名を白塔とも呼ばれています。
代々修繕されてきました。基壇の上部は仰蓮弁に積み上げ、第一、二層の外壁に磚彫の釈迦菩薩、四天王、力士の像をはめこんでいます。いずれも造形が優美で精彩に富み、流れるような曲線で、芸術性がかなり高いです。 塔内にはらせん階段があり、頂上まで登ると山河の絶景を眺めることができます。第一層の内壁には金代の石碑を6枚はめこみ、各層に代々訪れた人々の題記を漢語を中心に契丹小字、女真字、ウイグル体モンゴル字、パスパ文字、古シリア字、古ペルシア字などで記されています。そのうち、1162年の漢語の題記がもっとも古いです。金、元両代の題記の筆老らは中国の四方八方からやって来ており、当時よりこの地では、地域、民族を越え、往来が盛んであったことが偲ばれます。