泉州麒麟寺
泉州麒麟寺は、アラビア名:艾蘇哈ト大寺(Masjid al-Ashab 、聖友寺)であるが、誤って「清浄寺」とも呼ばれてきました。福建省泉州市中心部の涂門街の中ほどに位置し、敷地面積2500㎡、北宋祥符2年(1009年、イスラム暦400年)に創建されたモスクです。
元至大3年(1310年)にペルシア人のイブン・ムハンマド・アル・クーズ・シーラーズィーの寄進(きしん)により再建、増築され、現存の遺構は、元至正10年(1350年)と明万暦37年(1609年)、2回の修繕を経て甦ったものと見られます。当寺はアラブムスリムが創建した中国最古のモスクであり、中国国内で唯一の花崗岩と輝緑岩(ダイアベイス)で造ったモスクです。現存する主な遺構は、正門、奉天壇、明善堂などで、イスラム建築の中では最も古いという歴史的意義から、当寺は1961年に国家重要文化財及び「中国十大名寺」に指定されました。
寺の正門は涂門街に面し、高さ13m、幅6.6m、花崗岩と輝緑岩で作られ、外、中、内の3層に別れています。外、中側はペルシア的なイーワーン型の 「ピシュターク」で、輝緑岩でできたアーチの高さは10m、内側の半ドームは白塗りで、屋上が「望月楼」と「宣礼塔」(ミナレット)でしたが、地震で崩壊してしまい、台座の部分(現在は望月台と呼ぶ)のみ残っています。台座の三面には「回」の字型にレンガが積まれ、威厳ある凛とした雰囲気が漂います。イスラム教徒たちがここで月を眺めて断食、断食明けの時期を決めることから、望月台の名が付きました。
正門の東側には「祝聖亭」が立っていましたが、現在は基礎部分のみが残っています。残存する石刻から、元至正10年に呉鑑、明万暦37年に李光缙の編集により、麒麟寺が再建された内容の記述が読み取れます。西側には長さ24.6m、幅24.3mの「奉天台」がありましたが、現在は外壁の部分のみが残っています。東の壁には頂部が尖頭アーチ型になっている大門があり、上にアラビア語のカリグラフィー(コーランの句)で飾られています。西の壁の一部は外に突き出て説教壇となっていて、壇の中央に大きなアーチ型の仏壇が設置されています。南の壁の壁面には八つのアーチ状仏龕(ぶつがん)が開けられ、同様にその上は、アラビア語のカリグラフィー(コーランの句)が石に彫られています。全ての外壁は保存状態が良く、また、奉天台の跡から大量の文物が発見されました。寺の西北に、明善堂と呼ばれる中国式の木造礼拝殿が建設され、三間取りに中庭が二つある建物です。現在見られるものは、廃址になっていた物を、近年建て直したものです。ほかに、寺内には明永楽5年(1407年)に朝廷がイスラム教、及びモスクを保護するための詔(みことのり)の石刻が大切に保存されています。
泉州は「海のシルクロード」の起点として、古くからアラブやペルシア商人が来訪して、麒麟寺はその友好交流の歴史的証しです。この寺は現在、観光スポットとして、イスラム教の研究材料として、或いは礼拝堂や結婚式場として、なお現地のムスリムたちに歓迎されています。