揚州仙鶴寺
揚州の仙鶴寺は、広州の懐聖寺、泉州の麒麟寺、杭州の鳳凰寺と並ぶ、中国4大モスクのひとつです。建物の配置が飛翔する鶴のようであったため、この名がついたと言われています。中国とアラビア建築様式を巧みに融合させた建物は、保存状態が良く揚州観光の名所です。
仙鶴寺は礼拝寺とも呼ばれ、江蘇省揚州市南門街に位置します。宋徳祐元年(1275年)に、バグダードのハリーファから遣わされた普哈丁(プハティン)という名の使節により創建され、明、清の時代に修繕され、宋、元、明、清四朝のイスラム教文化の史跡が残されています。国内外のイスラム教徒の信仰を集めたこの寺は、世界中から高い評価を受けています。
使節普哈丁は聖ムハンマドの16世孫で、高い身分にも拘らず、彼は揚州の風俗や習慣に従い鶴の形を模して当寺を建てたと言われています。照壁(塀)が鶴の口ばし、エントランスが頭、細い小道が首、大殿(礼拝殿)が体、南北に並ぶ講堂、井戸、柏の巨木がその翼、目、足となっていて、大殿の後ろに広がる竹林は尻尾となります。仙鶴とは、不老不死の鶴の意味です。建物の配置が鶴のようであったので、仙鶴寺と名が付きました。現在の建物は、清の中期以後のものと見なされ、江蘇省重要文化財、中国模範モスクに指定されています。
敷地内には、東、西にそれぞれ1つの築山が配置され、それを繋ぐ長い建物は「抱山楼」といい、仙鶴寺の主体建築です。楼の下は庭になっていて、石や花で飾られ、季節ごとに異なる景色が見られます。楼の上は長い渡り廊下になっていて、廊下から庭を一望できます。巧みに配置された池や小屋、中国風の亭閣がこの庭に華やかさを与えています。楼の正面には「壷天自春」(壮麗な山河には及ばないが、小さな空間でも桃源郷という意味)と書かれた扁額が高い位置に掲げられ、左右の柱には揚州女子書画名人、李聖和氏の作品が掲げられています。ほかに、庭には宜雨軒、桂花庁、佳秋閣、清漪亭、觅句廊、透風漏月などの建物が作られており、あまり広くなく奥行の浅い敷地であっても、遠近感のある配置に工夫が見られます。
イスラム暦の祭日には、国内外からの信者たちがここに集まり礼拝をし、すでに700年以上の歴史があるこの寺は、現在、揚州とアラブ世界との友好交流のシンボルとなっています。