カシュガル(喀什)はウイグル語の「カシュガル•ガル」の略とされていますが、その由来は、歴史や民族の交流が多いことから様々な説があります。古代ペルシャ語やチュルク語では「玉の集まる所」、モンゴル語では「緑色の屋根を持つ建物」、その他、「青いレンガの町」、「岸、堤のそば」などと様々です。
カシュガルは、紀元前2世紀に中国の前漢時代の史書に、西域の36カ国の一つであった白色人種国家の一つである疏勒(そろく)国の都として紹介されています。その後、匈奴の僮仆都尉に属し、紀元前119年に漢の支配下になり、紀元前60年には漢が新疆に設置した西域都護府により正式に中国の領土になりました。
640年、唐が安西都護府を設置し安西四鎮の一つである疏勒都督府がおかれ、唐の重要な軍事拠点となりました。907年の五代十国時代から1279年に宋が滅びるまでは、喀喇汗王朝と西遼に支配され、チンギスハンが西征を終えてからは次男の察合台国太子によって支配されました。9世紀以後。モンゴルからウイグル人が押し寄せて、10世紀にカラハーン朝がカシュガルに都を置き、カシュガルと呼ばれ始めました。その後、契丹、チャガタイ・ハン国、ヤルカンド・ハン国などに支配され、1735年から1795年は清のカシュガル參贊大臣が新疆南部の八城を管理するための駐在地となりカシュガル直隷州が設置され、1884年からはカシュガル兵備道が設立され疏勒が設置されました。
19世紀後半から20世紀にかけては、ロシアやイギリスの勢力争いの場となり、1933年の1年は東トルキスタン・イスラム共和国が成立しましたが、その後、中華民国が改めてカシュガル行政区とし行政長公署を疏附に設置し、1943年には改めて新疆第三(カシュガル)行政区としています。1952年カシュガル市が誕生し、新中国が成立後にカシュガル專区と莎車專区を設立、1956年に莎車專区をカシュガル專区に併合し、1984年には国家二級レベルの開放都市になりました。
1986年には国務院が新疆の唯一の国家レベルの「歴史文化名城」と認めました。2004年には中国優秀観光都市に選ばれています。カシュガル市は新疆西部の重要な経済、政治、文化、情報の中心都市です。
タクラマカン砂漠縦断 西域南路の旅(11泊12日)
ウルムチ, トルファン, コルラ, クチャ, ホータン, ヤルカンド, カシュガル
新疆ウイグル自治区の南疆の主要都市ウルムチ(烏魯木斉)、クチャ(庫車)、ホータン(和田)、カシュガル(喀什)などを辿る旅。タクラマカン砂漠を縦断し、西遊記の火焔山まで足を伸ばしウイグル各地を満喫。
ウルムチ→ホータン→カシュガル(12泊13日)
ウルムチ, カシュガル, ヤルカンド, ホータン, クチャ, コルラ, トルファン
新疆ウイグル自治区の南疆の主要都市を巡り、地元の市場やウイグル民族だけが暮らす旧市街、田舎のぶどう農家などウイグル民族とのふれあいもたくさんあるコース。