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天山庫車大峡谷

天山庫車大峡谷の概況怒江大峡谷
 庫車(クチャ)大峡谷は、コズリア(「克孜利亜」、ウイグル語では、赤い山の崖という意味)大峡谷とも呼ばれ、天山山脈の南麓、アクス地区(阿克蘇地区)の庫車県(古称「龟兹」)から北に64キロメートルのところに位置します。
庫車大峡谷は、一人のウイグル族の若い羊飼いが、1999年の夏に放牧の際、発見したもので、2003年「中国十大美しい峡谷」の一つとして認められました。庫車大峡谷は、命名された景勝地が42ヶ所あり、峡谷の入り口から1.4キロメートルの所には、高さ35メートル*の唐代石窟があり、南、北、西の三方の壁には、壁画や漢字が残っています。国際連合教育科学文化機関が二度に亘り、庫車大峡谷の実地調査を行いました。

景勝地の紹介
通天洞
通天洞は、高さ百メートル*の切り岸にあります。言い伝えによると、唐の時代、12人の中原漢族の僧が西域に経学を伝えるため、苦労を重ね「龟兹」に到着し、仏縁聖山を探しに大峡谷に入り、通天洞の神様になり、天界に行ったそうです。
蔵宝洞
成吉思汗が、西域に軍を率いて行った時、古龟兹の王様は、大量の財宝を持って逃げました。財宝は、貴族の王氏が、この大峡谷に隠し、この洞に財宝をしまい、元軍の追跡を免れました。後代の人が、財宝を探しに来た時、意外にも、峡谷の入り口の両側にある山の斜面に、漢代の冶鉄と煉銅(鉄と銅を作る)の遺跡を発見しました。
玉女泉
1年中、泉水が垂れ続きます。冬は、したたる水が氷になり、巨大で透き通った、綺麗な「つらら」が仙女のように見えますので、「玉女泉」と命名されました。
アアイ(阿艾)石窟
アアイ(阿艾)石窟は、紀元8世紀、約1300年以前の盛唐時期に建て始め、敷地面積は16平方メートルです。石窟内は、正面の壁の中堂式壁画が少し壊れた以外、「十六観」という壁画など、左右の仏像は、きわめて保存状態が良く、芸術水準の高いものです。これらの壁画には、漢文と龟兹文で記入され*た字句が23ヶ所あり、漢文化と龟兹文化の最初の融合を体現しました。