正陽門、よく前門と呼ばれます。北京市内の南方の城門で、今ではすでに500年以上の歴史があります。天安門広場の南側に位置し、北京の南北中軸線上に建てられました。
正陽門の歴史
永乐十七年(1419年)、明の皇帝朱棣が北京に首都を移し、正統元年(1436年)、元(中国の歴史において、明の前の時代)の時代の麗正門を正陽門と改称しました。正統4年(1439年)、首都の各城門の外側、防御の能力を強化するために、矢倉を建てました。正陽門矢倉が同じ頃に建設され、砦の形で、城門の高台は12メートルがあります。ドアはアーチの形で、高台の真ん中に作られ、内城の九つの城門の中で、矢倉に門を施した唯一の城門です。ここは入城する皇帝専用の御門で、臣民は通ることを許されませんでした。
建築特色
矢倉は重檐歇山頂(中国の古代建築様式に使用される軒の形式です。特別な工夫を凝らして、豪華で、皇居の多くの宮殿に使用されます。)全体ではグレーで、軒には緑の琉璃が施されています。構造は上下四層(四階建)で、東、南、西の三つの方面には矢を放す窓口が、合わせて94ヶ所あります。矢倉は広くて、幅が合わせて62メートルの七つの部屋があり、北にはまた五つの部屋が建ち、幅は42メートルです。24メートルの高さを持っている矢倉は二重の城門があり、その城門前には長い歴史を有する前門前大街です。
箭楼
大きな規模を持っている瓮城は正陽門と矢倉の間の部分を指し、南から北まで108メートルで、東から西まで88.6メートルです。瓮城では、四方にアーチスタイルのドアが設けられています。
正陽門は建てられて以来、悠久な歴史を持っている北京のシンボルです。1915年の改修を経てから、さらに市民の観光地になっています。1928年、国産商品陳列場所に指定され、30年代に映画館を設け、1949年、芸能人の魏喜奎などが矢倉で大規模な公演を開催、さらに1949年2月3日、中国人民解放軍はここに盛大な入城式を行いました。
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住所 : 東城区前門外大街北端
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電話 :010-65229386 、65229382
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開放時間 :08:30-16:00
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交通 : 2、9、5、17、20、22、44番バスで「前門」下車、地下鉄「前門」下車