雍和宮の歴史
北京で最大かつ保存状態の最も良いチベット仏教ゲルク派の寺院で、南北に400メートル、面積は約6万6400平方メートルです。元は清の第二代皇帝-康煕帝が息子の胤禎(雍正帝)のために1694年に建てた貝勒府でした。胤禎が1708年に和硯雍親王に封じられ、王府を再建し、雍親王府とよばれるようになりました。胤禎が1723年に帝位を奪い、雍正帝となるとここに特務機関を置き、反対する政治活動を取り締まりました。3年後の1725年に王府の半分を行宮とし、残りの半分をチベット仏教ゲルク派に与えました。この時から雍和宮と呼ばれるようになりました。1744年になって乾隆帝がチベット族やモンゴル族に対する懐柔策から雍和宮を正式にチベット仏教寺院とした使っていました。漢、チベット、満州、モンゴル各民族の建築様式が混じりあい独特の雰囲気を出しています。
見どころ
雍和宮大殿
雍和宮の主殿にあたる建物で、過去仏、現在仏、未来仏を示す3体の仏像や、十八羅漢像が置かれています。
永佑殿
雍正帝が皇子の頃の居室で、正寝殿とも呼ばれています。雍正帝が1735年に無くなった時、その遺体は一時的にここに安置され、この時から緑色の瑠璃瓦がすべて黄色に替えられました。
法輪殿
チベット仏教の僧侶たちが法要を行い、経文を読む所でした。後になってチベット寺院の形式を取り入れたため建物は十字型で、屋根の上にはチベット式の小型仏塔が載っています。漢、チベット両方の建築様式が融合しています。チベット仏教ゲルク派の開祖ツォンカパの銅像が置かれています。
伝統行事
打鬼
打鬼は旧暦の1月最終日(29日または30日)、2月1日に行われるチベット仏教の伝統行事です。鬼を追い払うことが目的で、鬼や獣の面をかぶった僧侶が寺院内を練り歩き、高級僧が経を唱えながら踊ります。面をかぶった者の頭を刀で叩き割れば厄を払うことができるといわれています。