少林寺は河南省の嵩山の西側の麓にあります。嵩山にはお寺が72あります。そして、ここには中国の最古の北魏嵩岳寺塔で、最も古い禅宗寺―少林寺、規模の大きい塔林、最も有名な元代天文台、歴史的な価値のある漢三闕(太室、少室、啓母闕)、大きな中岳廟、古めしい嵩陽書院、美しい大法王寺など、いろいろあります。
少林寺は一回解体され、二回燃やされたことがあります。解体されたのは北周武帝の時代です。当時、国内の半分以上の人々は仏教を信仰していたため、生産に影響を与えていて、皇室の利益が損なわれていました。したがって、建徳三年(紀元574年)、周武帝は仏教と道教を禁じる命令を出しました。少林寺は解体され、お坊さんたちは故郷に戻されました。七世紀前期、少林寺のお坊さんたちが李世民の全国制覇に貢献があったため、唐の皇帝に支持され、少林寺は再建されました。
宋に至り、少林寺は二千人以上のお坊さんが集まり、建物は五千近くありました。また、36平方メートルを占めていて、経書は一万近くもあるので、天下第一名刹と呼ばれていました。清雍正年間(1723-1735)皇帝は武術が上手なお坊さんが反乱を起こすのを恐れ、少林寺を燃やしました。乾隆以降、再び修理が行われました。
1928年、軍閥石友が再び少林寺を燃やしました。少林寺はこの火災ため、大きな損失を受けました。この火事は五日間も燃え続けていました。七進院を含め二、三棟しか残らず、数え切れない経書や仏具も灰になりました。解放以降、また修理され、だんだん昔の規模になってきました。現在、少林寺には七進があり、総面積は三万平方メートルあり、大きな規模を誇っています。また、常住院、初祖庵、塔林、甘露台、祠堂、南園などの付属建築物もたくさんあります。
山門は清雍正十三年(1735年)に建てられました。門には少林寺という清の玄燁が書いた字が天王殿にかけられました。殿内に弥勒と韋馱の仏像があります。山の裏道には唐、宋、元、明、清の碑が30個あまりたてられていて、少林寺の有名な碑林であります。北宋の蘇軾の「観音賛碑」と元代の趙盂頫の「裕公碑」がとても有名であります。
二進院は天王殿であります。ここは四進の蔵経閣と三進の大雄宝殿とともに解体され、現在再建されました。中には四大天王像があります。三進の大雄宝殿は1986年に完成しました。殿内の柱基は高さ1メートルぐらいの石獅です。蔵経閣の遺跡には、鐘楼遺跡に5.5トンの金の大鉄鐘が置かれたほか、神座に明弘治元年(1488年)に作られた、高さ1.75メートルの地蔵王鉄像と石碑などが置かれました。東の殿は緊那羅王殿と東客堂と隣り合っていて、西には六祖堂と西客堂があります。方丈院は五進院にあり、ここは戦争で唯一残された建築物です。
院内は方丈室があり、お坊さんたちの住む場所です。ここから南へ眺めると、少室山の主峰が見えます。山には幅10平方メートルの巨大な石があり、夏、雨の後、光がこの石に反射して、不思議な光が輝いて、まるで真っ白な雪みたいに美しいです。
立雪亭の奥にあるのは毗卢閣、別名は千仏殿、明の末期に建て直されました。龕に供養されているのは明代に作られた毗卢の仏像です。
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