福州は福建省の政治、経済、文化の中心であり、「榕」と略称しています。福建省東部の闽江下流の沿岸地帯に位置して、中国東南沿海の重要な都市であり、中国の歴史と文化の名城です。
福州は紀元前202年に町が作られ、1946年に「市」を設立し、歴史的にも長期にわたり福建の政治の中心となっています。福州は中国の東南沿海の重要な貿易港であり、海上シルクロードの要地でもあり、また重要な文化の中心です。宋代から文化教育は栄えていて、進士(注;科拳(官吏登用試験)に合格した人、4100人強)、状元(注;進士の首席合格者、31人)と両院院士の最も多い都市の一つです。福州は近代中国の最初に開放した五つの貿易港の一つであり、福州の馬尾は中国の近代海軍の発祥地です。
秦朝には闽中郡を設立しました。福州は、夏代には揚州に属し、殷商には七闽の領土となり、戦国時代には越国に帰属し、秦朝には闽中郡を設立して、あとで漢高祖は福州で闽越王に封ずました。南朝の陳朝年間に、今の福建に闽州を設立し、あとで豊州と名を変えました。隋朝開皇九年(589年)に、また泉州と名を変え、大業三年に泉州を廃棄し、安郡、領闽、南安と龍渓四つの県が泉州を取って代わり、闽県と郡治は今の福州にあります。
唐武徳元年(618年)に、州を郡の代わりにして、六年に泉州という名を回復し、八年(625年)にまた豊州と名を変え、都督府を設立しました。天宝元年(742年)には江南東道に属し、乾元元年(758年)に「福州」の名を回復し、領闽、侯官、長楽、福唐、連江、長渓、古田と尤渓八つの県を設けました。五代の漢乾佑元年(948年)には、呉越に分割してくり入れ、尤渓県と徳化県に分けられました。宋太平の興国三年、両浙西南路に属し、六年(981年)には闽県から懐安県を分立して、雍熙二年(985年)には福建路に属し、この辺の政治の中心地になりました。
元朝は福建行中書省を設立しており、省都が福州にあり、福州路と称し、闽侯、侯官、懐安、古田、闽清、長楽、連江、罗源と永福九つの県及び福清州と福寧州を従えて、福建行中省に属しました。明洪武元年(1368年)、福州路が福州府に換えられ、福建布政使司に属し、闽侯、侯官、懐安、古田、闽清、長楽、連江、罗源、永福と福清十県が含まれました。順治三年(1646年)には福建行省に属し、所属する県は明洪武元年のと同じです。清朝前期から寧福道に従属しました。雍正十二年(1734年)、析古田県が屏南県に加えられました、1912年、府を廃止し、東路を設立して、福建省の省都になりました。