林則徐記念館は、福州市南後町マカウ路にあり、中国の歴史的ヒーローである林則徐を記念するために建てられました。1982年に設立され、その場所はもともと林則徐の旧家でした。敷地面積は3000平方メートルを超え、中には義門庁、御碑亭、树德堂、南北花庁、曲尺楼、竹柏軒などの主要建築が立ち並んでおり、江南園林の雰囲気が漂っています。
壁の外側には「虎門硝煙」というレリーフが彫られており、また、門には「林文忠公祠」という額が掛けられています。儀門廊下の両側に並んでいる20枚を超える執事札に、林則徐の経歴が記されています。树德堂は祠庁であり、林則徐の官服姿の彫像が真ん中に立っています。その上に置かれた横額は、清代の道光皇帝による揮毫で「福寿」と書かれてあります。また、現在、曲尺楼は展覧庁になっています。竹柏軒は、古式二階建ての楼閣構造で、一階は視聴覚機器を用いた教育の場として作られ、100人以上の観客を収容し、常に展示、劇映画、ドラマやドキュメンタリ—が流されています。二階は資料室であり、豊富な書籍や文物が収蔵されております。
林則徐(1785~1850)は中国の英雄です。侯官(現在の福州)人で、嘉慶進士で、巡撫(旧時の官名で清代では一省の民政・軍政をつかさどる長官のこと)及び総督を長年再任しました。アヘンの根絶に尽力し、道光十九年(1839年)に钦差大臣を担任し出世しました。広東にアヘンを取締に向かった結果、237万斤以上のアヘンを取り上げ、虎門で大勢の前で処分しました。イギリスが侵略戦争を発動する際、軍民を結束し侵攻を発しました。清代朝廷の妥協により、林則徐は死刑を免じられましたが、新疆に流され、兵役や労役に服させられたが、後に雲貴総督に起用されました。
林則徐の生涯を反映するこの記念館に、対聯、条屏、立幅、扇子、手紙、原稿、筆記など林則徐の直筆が120件以上所蔵されております。また、林則徐が愛用した印章、墨、印鑑箱、彫刻板の形見も多数あります。全館は古典式園林という建築スタイルで建てられ、展覧室や蔵書により、林則徐の一生はそこで再現されています。
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