大理は雲南省で最も歴史のある文化発祥地の一つです。考古学者の研究によりますと、新石器時代の遺跡は洱海を中心とする高原、湖群に広く分布しています。ペー族、イ族などの少数民族の先祖はこの美しくて豊かな土地で暮らしてきました。彼らは稲を植えたり、家畜を飼ったり、採集、漁と狩猟をしたりして、大理の古代文明を創造しました。
西暦902年から937年までの30年あまりの間、大理での王朝交代は二回もありました。10世紀中葉、タイ族の段思平が南詔国に代わって大理国を立てました。彼は新しい政策を実行したり、古いやり方を転換したりして、礼儀によって国民を統治していました。国号の「大理」の意味は、生産力の発展と各方面の関係を調整するということです。
長い歴史の中で、大理は高い地位と重要な役割を果たしてきました。秦、漢の頃、大理は「蜀の桟道」(四川の成都から雲南大理、保山を経由してミャンマーに入り、インドにたどり着く危険な道)で必ず通らなければならない道です。この道は大理と中国内陸との関係を促進し、中国と東南アジア諸国の友好関係及び経済交流の促進にも重要な役割を果たしています。大理は悠久の歴史のため、大理古城及びその周りに文物や旧跡がたくさんあります。古城を中心として、蒼山の麓、また洱海の海岸に沿って線状に分布しています。