河南省鄭州市の鞏義石窟寺は市区から10キロ離れ、南河渡鎮寺湾村に位置しています。1982年国家級保護文化財として認定されました。鞏義石窟寺はもともと北魏時代皇室のために掘られた石窟です。それから、孝文帝によって寺は建立され、宣武帝によって石窟の中に何千万個もの仏像が彫られました。その後の魏、唐、宋の時代、次々と小さな仏像がここに刻まれていきました。寺が創立された当時「希玄寺」と呼ばれていましたが、唐の初期に名を「浄土寺」に変え、宋の時代に至ってはじめて、今通用している「石窟寺」と改称されました。中には、石窟5個、千仏仏壇1個、小さな仏壇255個、摩崖大仏3個、仏像7743個、石碑に彫りつけた前書きおよそ200個が現存しています。鞏義石窟寺は山を背にして、洛河に面しています。黄河と洛河の合流地に容姿端麗な姿が現れます。
5つの石窟の中、いちばん大きい規模を持っているのは第一窟です。石窟内の仏像はほとんど「妙法蓮花経」をもとに彫られています。ある部分は漢魏両晋時代以来の地元の伝統技術を忠実に表現しています。いずれにしても、これは外来宗教と地元文化が完璧に融合し合った優秀な芸術作品です。石窟寺はおよそ9000平方メートルの広さを持っています。視野が開け、目に見える限りが緑一色で、理想的な観光スポットです。石窟内の地面は外より約1メートル低いので、足元に気を付けてください。
石窟内のいろいろな仏像はほとんど顔が丸く、表情がおっとりとしていて、衣装の模様はシンプルです。中にある礼仏図、飛天、神獣、仏教物語などの浮き彫りは現存している仏像の中で、比較的に完全な状態で残っている北魏時代の浮き彫りです。その中で、いちばん素晴らしいのは第一窟の「帝后礼仏図」です。それは3部分からなっており、画面に彫られた大様でゆったりしている貴族たちと、背が低くて卑しい付き人とは著しい対照となっています。その他、帝后の参拝の行列の中、帝后の衣装の裾をからげたり、扇子を使ったり、傘を持ったり、祭祀の器を手にしたりする付き人たちの姿を巧みに彫り、当時皇室が宗教行事を催したときの盛大な場面を表現しています。構図が簡潔で生き生きとしていて、模様が繊細で、さすが中国の石窟浮き彫り芸術の中でも素晴らしい傑作です。