2009年皆既日食ツア-AraChina(Since 1959)

嘉興

嘉興嘉興市は南湖区、秀洲区の2市轄区と海寧市、平湖市、桐郷市の3県級市と嘉善県、海塩県の2県を管轄する。
  嘉興市は東北に上海市、北に江蘇省蘇州市、西に浙江省杭州市と接する。7000年前新石器時代の馬家浜文化の発祥地。春秋時代には長水あるいは槜李と呼ばれた。戦国時代に楚の属地となり、秦の時代には会稽郡の由拳県と海塩県が置かれ、三国呉の時代に塩官県が増設された。呉の孫権は231年、由拳県に野稲が自生したと聞き、瑞祥であるとして由拳県を禾興と改名し、242年に嘉興に改めた。ここに嘉興の名が起こったわけである。
中華人民共和国の建国後、嘉興市が設置され、1985年に長江デルタ経済開放区に入り、1988年に全域が経済開放区となった。

嘉興気候

嘉興市は北亜熱帯の南境界線に位置し、東亜季節風気候区に属する。夏、冬は季節風が吹き、四季ははっきりしている。年間降水量と日照時間が充分で、年間平均気温15.9℃、平均降水量1168.6mm、平均日照時間2017.0時間。「春湿潤、夏炎熱、秋乾燥、冬寒冷」の気候特徴をもつ。中緯度にある嘉興は冬より夏が短い。

嘉興交通情報

嘉興市は上海南西へ約100kmのところにある。車で1時間10分~1時間半位、列車で40分かかります。

見所:

●南湖景勝地
南湖は東と西の2つの湖に分かれ、鴛鴦が頚を交えているように見えることから、鴛鴦湖とも呼ばれている。湖の中心にある島内には南湖革命記念館があり、中には孫文の肖像画も飾られている。中国でも著名な革命記念地の一つに挙げられている。1921年8月初、中国共産党第一次全国代表大会の最終日、嘉興の南湖の船上で議論が行われ、共産党の誕生が宣言された。この船はそのレプリカで長さ16m、幅3mで、中には机と茶具などが準備されている。南湖の畔に、五代呉越国の銭氏によって建てられた煙雨楼が立っている。この名が付けられたのは唐代の詩人杜牧の詩句「南朝四百八十寺、多少楼台煙雨中」に由来するとのこと。

●江南百床館
江南百床館は趙家庁とも呼ばれ、古代江南様式の寝台を集めた博物館。収蔵品はどれも工芸品としての優れた美と独特の風格を備えている。古代の美学や高い彫刻技術と創造力を垣間見ることができる。

●匯源当舗
『烏青鎮志』によると、清代の烏鎮には有名な質屋が13軒あったが、太平天国の乱以後、数軒しか残らなかったという。その中のひとつが常豊街にある匯源当舗。しかし、日本軍の侵攻により、。匯源当舗は営業停止となった。烏鎮の質屋業の歴史の終止符を意味していた。
建造の際には、防盗や防火を考えた。その為に、四周は高い壁に囲まれ、常に人が見張りに当たっていたという。門には閂がかけられ、侵入するのは簡単ではなかった。質入に関する当時の様々な習慣は非常に興味深い。

●来鳳橋
小桐街の東側にあり、1637年に造られた、三つのアーチからなる石橋である。伝説では、この橋の建設の際に、一羽の鳥が飛んできたが、人々はそれを瑞兆と思い、「送子来鳳橋」と名づけた。1997年に修復され、幅10mになる。

●石皮弄
古くから西塘には多くのお金持ちが住んでおり、今まで彼らの邸宅がそのままに残されている。そのうち、石皮弄はもっとも特色のある通りで、王氏という人の2つ邸宅を通る。全長約68m。