* トピックタイトル: 中世の木造家屋の街並み―(トロワ・フランス) |
■投稿者/ カセイ旅行社 (2008-3-14 10:13:02) アクセス: 1074
中世の木造家屋の街並み―(トロワ・フランス) |
中世の木造家屋の街並み―(トロワ・フランス)
パリ東駅から急行列車で1時間半。高級発泡酒「シャンパン」で知られるシャンパーニュ地方南部にあるトロワは、フランスでは珍しい中世の木造家屋が多く残る街だ。
お目当ては、15世紀の木骨組みの家を改造したホテル「ル・シャン・デ・ゾワゾー」。女性オーナーのモニック・ボワソーさん(68)は1994年に定年退職するまで中学校で国語を教えていた経歴を持つ。「75年に家を買った時にはホテルの計画は全くなかった。退職した時に思い切ってホテルにしよう、と。小学校教師だった母の影響で教師になったけど、実は商売がやりたかったから」 廃屋同然だった家の柱を分解し、「時間をかけて元の雰囲気をできるだけ再現。家を裏切りたくなかった」とボワソーさん。内装やインテリアも自分で手がけた。古びた柱としゃれたインテリアの妙が評判となり、雑誌の特集で「フランスで最も美しいホテル20選」にも選ばれた。
木造家屋はかつては「貧しさ」の象徴で、トロワはフランスで貧しい地域とされていた時代も。それが今や、他の観光地にはない売り物になっているから不思議だ。 仏版新幹線「TGV」東線が昨年開通し、シャンパーニュ地方の北部ランスなどはパリからの所要時間が大きく短縮した。トロワはTGVの恩恵は受けず、知名度も低いが、木の温もりに急ぎの旅は似合わない気がした。
一方、「木造の街」とは違う顔がトロワにある。繊維産業が発達した歴史から、郊外には複数の大型アウトレット・ショッピングモールがあり、有名ブランドのアウトレット商品を求める人たちでいつもにぎわっている。 【パリ支局・牧真一郎、写真も】
(写真上)中世の木造組みの建物を保存したトロワの街並み (写真下)トロワ郊外のアウトレットモールで、冬のバーゲンで買い物を楽しむ人たち
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□投稿者/カセイ旅行社 (2008-8-25 17:52:32)
大仙家(静岡?畑毛温泉)

石造りの露天風呂は広々としている
静岡県で唯一、環境省の国民保養温泉地に指定されている畑毛、奈古谷温泉は、伊豆半島の根元に位置する。
富士山とのどかな田園風景を望んで立つ大仙家は、吹き抜けのロビーなどリゾート感漂う造り。平成5年に全面リニューアルした館内は、バリアフリーに配慮している。
「老人ホームの団体旅行など、車いすの方の利用も多いです」と、営業マネジャーの小林和弘さん。館内の公共スペースは、スロープなども含めて、ほとんど段差なく移動できる。
車いすで利用しやすい客室は、2、3階のスタンダードタイプの洋室か、4階の広めの洋室。どちらもベッドの横まで車いすで移動でき、バス?トイレが付いている。
ただし、スタンダードタイプの洋室は、ユニットバスの前に約4センチの段差があるので、介助者が必要だ。広めの洋室は、トイレへ入るのに段差はないが、ドアの開け閉めが2度ある。予約時に相談して、使いやすいほうを選ぶとよい。コネクティングルームを備えた部屋もある。
温泉入浴は大浴場を利用する。スロープを使って脱衣所まで入り、浴室用の車いすに乗り換えて洗い場へ。浴室には温度の違う3つの湯舟があり、2つの泉質が楽しめる。昔から湯治場として親しまれている。
料理自慢の宿でもあり、夕食は、伊豆の新鮮魚介など厳選素材を使った会席料理。レストランにはテーブル席がある。
車で約25分の大富(おおとみ)農園では、5月まで車いすのままいちご狩りができる。(文/中元千惠子)
バリアフリー情報
【館内】スロープやエレベーターを備え、共有スペースは車いすで移動しやすい。1階に車いす用トイレがある。
【客室】洋室は、スタンダードタイプ(約27平方メートル)と広め(約40平方メートル)の計35室。いずれも2つのベッド付き。バス?トイレ付きだが、客室の浴室は温泉ではない。
【浴室】浴室用の車いすとシャワーチェアを男女1つずつ備える。洗い場へ降りるのに約2センチ〜4センチの段差がある。露天風呂へは約4センチの段差が1段ある。
【その他】食事は朝夕ともレストランのテーブル席でとる。きざみ食やアレルギー食材についてもできるだけ対応するので、予約時に相談を。
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□投稿者/カセイ旅行社 (2008-8-20 17:22:46)
成都 中国 三国志 ヒーローたちの聖地
諸葛亮殿の入り口。三国志の人気は中国でも高く、全国から観光客が訪れている=四川省成都市
周辺はにぎやか 内外から観光客
三国志ゆかりの地を訪れた。中国四川省成都市にある武侯祠博物館。武侯とは諸葛亮(孔明)のこと。三国時代、蜀の軍師で、智謀と人徳で有名な人物だ。
街中にあるせいか、ひっきりなしに車やバスが行き交う。入り口前には「三国聖地」の大きな石碑。訪れる人も多く、この日も観光バスで乗りつける団体客、車の家族連れやカップル、学生や若者たち…。飛び交う中国語もまたにぎやかだ。われわれ外国人の姿もそこここに。
2つの門をくぐって数十メートル歩く。木立に囲まれた最初の建物に鎮座していたのは、蜀の皇帝?劉備玄徳。金色の衣装に身を包んで、身長3メートルくらい、“巨体”がほほ笑んでいた。諸葛亮の博物館のはずでは…。
物の本によると、武侯祠とはいうものの、本来は玄徳の墓所。それが「君臣ならば同じところに」と中国でも思ったのかどうか。6世紀の初め、離れたところにあった武侯祠が移され、劉備を祭った「昭烈廟」に並んで建てられ、14世紀末になって合体したのだそうだ(もっとも現在の建物は17世紀に再建されたものだが)。 現在でも入り口正面の横額には「漢昭烈廟」とあり、玄徳の贈り名である「昭烈」が入っている。いわば蜀の君臣記念館なのだが、諸葛亮の才能と人徳への人気は主君を上回るらしい。いつの間にか、武侯祠と呼ぶようになったという。 その“人気者”というか、諸葛亮は玄徳のさらに奥。これまた金の衣装に身を包んで座っていた。人格者らしく穏やかな表情の塑像だった。
武侯祠の東側に隣接する「錦里」。土産物店や飲食店、露店が立ち並び、観光客でにぎわっている
武侯祠には、53基の石碑、61枚の額があるという。
門をくぐって右側、唐の時代に建立された石碑には孔明の功績が刻まれている。この碑は文章、書法、石刻技術が極めて優れているため「三絶碑」とたたえられ、特に有名。第二の門から劉備殿敷地に入ったところにあるのは「出師表」。劉備の死後、魏への出陣前に若い皇帝の劉禅に奉った名文中の名文。岳飛の書で、字体が楷書(かいしょ)からだんだんと崩れていっているのは、書きながら内容に感動した岳飛の心の動きの表れだそうだ。
蜀の人物47人の塑像もある。中国らしい色鮮やかな人形で、右側通路に文官、左側に黄忠、馬超ら武将がずらりと並ぶ。劉備の左右には、おなじみの関羽と張飛もいる。塑像のひとつひとつを見て回るだけでも、1700年前の出来事が浮かんでくるようで、三国志ファンならずとも楽しめる。
劉備殿、諸葛亮殿から玄徳の墓に回った。
乾隆帝が書いたという「漢昭烈皇帝之〇」(〇は字が欠けている)の“墓碑”の前に立っていると、「日本の方ですか」と声を掛けられた。俳優の萩原流行に似た中国男性のガイドさん(名前を聞くのは失念した)。「名古屋から」と返事をすると「トヨタの街ですね」。あえて間違いは直さず、しばらく“案内”してもらった。
墓陵は周囲180メートルの円形。高さ12メートル小高く盛りあがっている。ここには玄徳と2人の夫人が眠っているという。
「玄徳のお墓と言われていますが、どうでしょうか」とガイド氏。「玄徳が亡くなったのは223年5月ごろ。場所は成都から西方に500キロほど離れた白帝城。当時なら運ぶのに2カ月はかかったはずです。実際に運んだかどうか…」。ガイド氏によれば、中国政府も発掘したことはないという。「玄徳が眠っていると思えばそれで十分、ロマンチックではないですか」
武侯祠は唐の時代には有名な観光地になっていたといい、1961年には国から全国重点文化財に指定された。敷地面積は3万7千平方メートル。竹林や池もあって緑も豊か。歴史のロマンを感じさせる聖地は、せわしない毎日を忘れさせてくれる「癒やしの空間」でもあった。
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□投稿者/カセイ旅行社 (2008-8-1 17:49:04)
揚州 中国 もやと芽吹き、早春痩西湖
春めいてきた痩西湖。船から四季折々の風景が眺められる
『青の世界』で瞑想する鑑真像
はるか昔へと誘われていく。船に揺られながら、そんな感覚になった。「揚州」という名前さえ、ほとんど耳にしたことがないのに、なぜか覚える親近感。かつて、日本に渡来した鑑真和上(688−763年)の故郷であり、日本から長安へ向かう遣唐使の通り道でもあった、という縁がそうさせたのか。
長江のすぐ北、揚州市中心部にある痩西(そうせい)湖。字のごとく、「痩(や)せた西湖」。中国には36の「西湖」があるとされるが、細長い形をしたこの湖は、風光明美な景勝で知られる杭州の西湖に次いで美しい、といわれる。
長さ4?3キロ、幅100メートルほどで、大きさはナゴヤドーム5個分。隋の二代皇帝煬帝(569−618年)が農民を集めて作らせた北京と杭州とを結ぶ大運河につながっている。
船は、もやが立ちこめた湖面を滑るように進んでいく。
両岸には、春の芽吹きを控えた柳やアカシアの木々。ついさっきまで、耳をつんざいていた車のクラクションは、もう聞こえない。船が水をかきわけた時の、さざ波の音だけが静寂に響いた。
ふと、琴の調べ。音をたどると、へさきで、真っ赤なチャイナドレスを着た張晶磊さん(23)が、弦をしなやかな指ではじいていた。
「煬帝皇帝さまは、琴や笛を奏でる美女24人を集めて、船遊びを楽しんだんですよ」と、現地ガイドの蒋永傑さん(53)。酒色にふけったと伝えられる煬帝のこと、美女に囲まれながら、上等な紹興酒でもあおっていたのだろうか。
痩西湖公園のすぐ北にある大明寺を訪れた。唐の時代に日本へ渡り、仏教の戒律、薬学、建築、書などを伝えた鑑真ゆかりの寺だ。
鑑真はこの寺の住職になった55歳の時、遣唐使に随行してきた日本人青年僧に「日本へ来てほしい」と請われた。意を決して渡航を試みるが、密告や嵐などのため5度も失敗。12年がかりで来日を果たしたという。
鑑真が創建した奈良?唐招提寺の金堂にそっくりの建物があった。1973年に完成した「鑑真記念堂」。日中両国の仏教会が、鑑真入滅千二百回忌に唐招提寺を模して造ったという。似ているはずだ。
薄暗い堂内に入ると、今度は唐招提寺にある国宝「鑑真和上坐(ざ)像」を模した木彫が安置してあった。
鑑真は、度重なる渡航失敗による過労から両目を失明したというが、目を閉じ、瞑想(めいそう)する像の表情は穏やか。
「最近の日中関係をどうみているのだろう」などと思いながら見入る。鑑真への敬意と名残惜しさ。去り際、像に相対し、じっと手を合わせた。
鑑真和上ゆかりの大明寺で、僧の修業の様子をのぞき込む中国人観光客ら
別室に行ってびっくり。東山魁夷画伯が描いた鑑真の絵が飾ってあるではないか。背景は、緑の山。まさしく画伯の「青の世界」だ。自宅に、森の湖のほとりを白馬が駆ける「緑響く」を飾る東山ファンとしては、こたえられない。画伯は、唐招提寺の御影堂(みえいどう)の障壁画を手掛けていた。縁は深かったのだ。
外に出ると、空にそびえる高い塔が見えた。高さ70メートル、九層からなる「棲霊塔」。本物は清の時代に焼失、十年前に再建されたものだが、どこか日本の五重塔に似ている。聞けば、李白や白居易が塔の上で、詩を詠んだとか。眼下には痩西湖の眺望。どんな詩なのか、知りたくなった。
境内を散策していると、真っ暗な建物の奥から修行僧たちの念仏が聞こえてきた。一帯が厳かな空気に包まれる。が、「キヤッー」という嬌(きょう)声によって遮られた。中国人の若いカップルだ。彼氏に体を抱え上げられた若い女性が、窓から修行の様子をのぞきこんでいた。
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□投稿者/カセイ旅行社 (2008-7-30 17:48:33)
石山寺 大津市 花開く源氏物語の里
奈良時代の僧「良弁」によって開かれた石山寺。紫式部、清少納言、和泉式部など女流文学発祥の舞台となった
今年は紫式部の「源氏物語」が生まれて1000年。式部が作品の着想を得たと伝えられる古刹(こさつ)、石山寺を中心に記念イベント「源氏物語千年紀in湖都大津」が始まったというので、桜のつぼみが膨らんだ日、寺や周りを訪ねた。
石山寺へは、琵琶湖畔の桟橋から、外輪汽船「一番丸」(38トン、定員100人)に乗って向かった。右手奥に遠ざかる比叡山を見ながら、湖から唯一流れ出す瀬田川に入り、瀬田の唐橋、JR東海道新幹線をくぐると右岸に石山寺が見えてきた。
門前の船着き場で下船し、東大門をくぐった参道の左手にある塔頭(たっちゅう)の世尊院、明王院、密蔵院で「源氏夢回廊」と銘打った催しが開かれていた。
世尊院では、平安王朝の衣装を彩った刺繍(ししゅう)に焦点をあてて54帖(じょう)からなる物語や和歌の世界を表現した作品や衣装のほか、映画「千年の恋」で式部を演じた女優?吉永小百合が着た衣装などを展示。
明王院では、物語の現代語訳などを手掛ける作家?田辺聖子さんの作品などを紹介。密蔵院では大津市在住のロボットクリエーター?高橋智隆さんらが物語の世界を現代美術で表現していた。
平安貴族気分が楽しめる試着衣装=大津市の「旅亭紅葉」で
参道から急な階段を上ると、硅灰石(けいかいせき)と呼ばれる巨大な岩と、その上に切手の図柄にもなった多宝塔が目に飛び込んできた。本堂に上がり、十二単(ひとえ)をまとった人形が飾られた「源氏の間」をのぞき込む。紫式部が、この寺に参籠(さんろう)し、中秋の名月をたたえながら物語を執筆したとされる書斎だ。彼女はここからどんな風景を眺めたのだろうか−、ふとそんな思いがよぎった。
寺は西国三十三所観音霊場の13番目の札所でもあり、本尊の如意輪観世音半跏(はんか)像は33年に一度だけ開帳される。本来なら次の開帳は2016(平成28)年だが、西国三十三所を再興した花山法皇が逝去して1000年になることから来年春と秋に特別に開帳されるという。
本堂では、参詣者が大ちょうちん(高さ、直径ともに約3メートル)の下をくぐってお参りをしていた。売店?案内所で「もうご本尊を拝めないでしょうね」と尋ねたお年寄りに、案内係の佐野玲子さん(65)が「まだまだ大丈夫です。来年拝めますよ」と声をかけていた。
寺の敷地は広く、一通り歩くと1時間近くかかる。最奥部の豊浄殿で開かれている紫式部展で、展示品の説明をしていた鷲尾遍隆座主の妻龍妙さん(52)は「いにしえの女性の心情の移ろいが1000年たっても理解できる。読むほどに奥深さを感じるのが源氏物語の魅力ですね」と語った。
境内はモクレンやツバキ、フジ、ボタンなどが四季折々の花を咲かせる。それらも12月14日まで繰り広げられる記念イベントを彩る主役の一つだろう。
比叡山北ろくの融(とおる)神社も、往事の様子を伝えるような古社だった。物語の主人公?光源氏のモデルとされる平安貴族の源融(嵯峨天皇の皇子)公がまつられており、歴史ファンなどが訪れているという。
「古都おおつ観光ボランティアガイドの会」の尾苗敬さん(68)に“融公モデル説”の信ぴょう性について尋ねると「私らは100パーセント信じていますよ。ここに荘園があったのは紛れもない事実ですから」と答えが返ってきた。
文?佐野太郎 写真?渡辺正夫
(2008年4月4日 夕刊)
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□投稿者/カセイ旅行社 (2008-7-25 17:34:32)

マカオは中国広東省南部、珠江河口の西南岸に位置し、マカオ半島、タイパ島、コロアネ島より構成されています。総面積は26.8平方キロで、そのうち20平方キロ以上は海を埋め地です。人口は44万1600人です。
媽閣廟はマカオ半島の西南沿海地区にあり、マカオの現存している最も古いお寺です。ポルトガル人が初めてマカオに着いた時、「ここはどこですか?」と地元の人に聞いたら、地元の人は媽閣廟の名前を聞いたことを思って、「媽閣(マコウ)」と答えたので、この島をマカオと名づけたそうです。ここで祀られている媽祖は「阿媽(アマ)」とも呼ばれ、漁師を守る海の神様です。昔、マカオは小さい漁村で、ここの人が海に頼って生活しています。海に臨んでよく津波や嵐、地震が起こったり、漁師の収穫も余りよくなかったりした時がありますから、村人たちは自分の神様「阿媽」を信じ、祀ってきました。平日でも、人がいっぱいでとてもにぎやかでした。そして、線香の煙は小さな丘を包んでいました。
媽閣廟は正門から入って、10分間ぐらい一周歩き回れるほど小さいです。媽閣廟は小さい丘にあり、神山第一殿や、正覚禅林、弘仁殿、観音閣などの建築物からなっています。これらの殿には神様の像があります。阿媽の像だけでなく観音や土地を守神様もここで祭られています。殿の中には様々で鮮やかな飾り物があります。中国南方地区の宗教の特徴が十分見られています。
媽閣廟を見終わってから、市中心にあるセント?ポール大聖堂へ見に行きました。セント?ポール大聖堂は1580年に建てられましたが、不幸なことに1595年と1601年に火事が起きし、さらに1835年の天災によって焼失されました。今、私達はこの教会のファサードから教会の厳粛さと雄大さを想像するしかできません。ファサードにある彫刻や像がイキイキしています。門の下に立って見上がると、門の上にHISつまりイエズス会の標しが刻まれていることが見えます。その上のほうにイエズス会の四人の聖人の像があります。さらに上の方はまたマリアや、イエズの像が立っています。建設当時、東洋一のキリスト教建築だったそうです。
当時セント?ポール大聖堂は多くの信者があこがれてるところとなっていました。そのうちの一部分の敬虔な信者はここの地下聖堂に埋められていました。ファサードの門から入って地下聖堂が見えます。聖堂中心部にあるのは、セント?ポール大聖堂の創始者であったアレツャソドレ?ブァリニヤーノ神父のお墓だと見られています。北側の壁面に埋め込まれた引出しの形をした棺の中では、敬虔な信者や普通の庶民も3世紀以上もの間、ここに葬られてきました。それから、両側の壁にあるガラス製の遺物箱には、日本やベトナムで殉教した人々の遺骨が納められています。アジアにおけるキリスト教の福音伝道の発祥地として、かなり有名でした。このセント?ポール大聖堂は外来の文化を代表して、世界でも知られていました。
媽閣廟とセント?ポール大聖堂から見れば、西洋と東洋の文化はマカオで共に存在し、発展していることが分かりました。今回の東アジア大会のバスケットボールの試合が行われた体育館の竣工儀式の時、キリスト教の神父が平安と祝福の祭りを行うと共に、仏壇で仏事も行われたそうです。他のところでは、二つ以上の宗教が共に催しを開催することはめったに見えないですが、ここでは絶対珍しいことではないです。
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□投稿者/カセイ旅行社 (2008-7-18 17:42:11)
ロンドン イギリス 時空超えアートと散歩
大観覧車「ロンドン?アイ」からの眺め。右側には国会議事堂やビッグベンが見える
空から眺めるビッグベン
はるか下を流れるテムズ川が、日差しを受けて輝く。対岸には国会議事堂と大時計「ビッグベン」。8年ぶりのロンドン旅行は、大観覧車での“空中散歩”で始まった。
好調な経済を反映し、街は活気に満ちていた。ユニークなデザインのビルがいくつも建ち、再開発地区はあちこちで工事中。この大観覧車「ロンドン?アイ」も、2000年の「ミレニアム」を記念してテムズ川南岸に造られたものだ。
今回の旅の目的は、主に美術館巡り。テムズ川南岸に同じく2000年にオープンした国立美術館「テート?モダン」を訪れた。フォービスムから現代アートまで、20世紀以降の芸術作品を幅広く収集し、所蔵、展示している。
大きな煙突のある外観は、まるで工場。実際、以前は火力発電所だったという。天井の高い、巨大な空間を生かした展示スペースもあり「工業デザインとモダンアートがよく合っているでしょう」と、案内してくれたマーカス?ホーリーさん。若い来場者の姿が目立ち、年間約450万人が訪れる人気だという。
テート?モダンの展示室。正面のブロンズ作品はルチオ?フォンタナの「自然」=ロンドン市内で
テート?モダンの“兄貴分”に当たるのが「テート?ブリテン」。1897年のオープンで、角砂糖を考案して財を成したヘンリー?テートが、建物と絵画66点を寄付したのが始まりという。ラファエル前派の英国人画家ミレーの「オフェーリア」などが有名で、ロマン主義の英国人画家ターナーの作品が充実していることでも知られる。
テート?ブリテンが英国美術に重点を置いているのに対し、トラファルガー広場に面した「ナショナル?ギャラリー」はボッティチェリやフェルメール、モネ、ゴッホなど西欧絵画のコレクションで定評がある。重厚な雰囲気の室内で名画を眺めていると、時空を超えて旅をしているような気分になる。
こちらは1824年、銀行家J?J?アンガースタインが所蔵する38点の絵画を、議会が買い取ったのが始まり。生涯教育担当のカーリー?アレンさんは「ヨーロッパの美術館の多くは王侯貴族のコレクションが基ですが、ここは三分の一が個人の寄贈などです」と話す。
ところでナショナル?ギャラリーをはじめ、ロンドンの美術館や博物館の多くは入場無料。館内には募金箱があるが、入れるのは自由だ。無料の理由について、アレンさんは「芸術は、すべての人のためとの考えから」と説明する。
ナショナル?ギャラリーなど博物館や美術館が数多くできた19世紀は、産業革命の成功などで英国が豊かになり、国民の“教養”を高めることに関心が向けられた時期。同ギャラリーが造られた場所も、馬車に乗った裕福な人々も、徒歩で来る貧しい人々も、ともに訪れやすい所が選ばれたという。
今でも、多くの人に芸術に親しんでもらおうとの工夫は健在だ。ほとんどの美術館が週に1、2回は午後9時や10時ごろまで開館。ボランティアによる作品解説も盛んだ。
肖像画を集めた「ナショナル?ポートレート?ギャラリー」は、子どもたちに作品をじっくり見てもらおうと、名画のジグソーパズルや、絵画の中の人物になれる“変装セット”なども貸し出す。同様のプログラムはどこでも充実しており、子どもたちの楽しそうな姿が、あちこちの美術館で見られた。
ずっと昔からはぐくまれてきた豊かさのおかげで、今のロンドンの楽しさがある。現代の街の活気は次の時代に、どんな贈り物をするのだろうか。
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□投稿者/カセイ旅行社 (2008-7-7 17:47:52)
春の海風と「モネの庭」 高知?室戸(むろと)

灯台は室戸岬のシンボル。水平線がほんのり弧を描いているように見え、地球が丸いことを実感する
水平線上で、強い春風が海雲を吹き飛ばした。キラキラした水面の光彩が、刻々と短時間で変化する。その様子を白亜の灯台がじっと見下ろしていた。
弘法大師の目にも同じ景色が映ったのだろうか。ふと、そんなことを思った。
かの高僧は、ここ室戸でも修行し、やがて空海を名乗るようになった。岬から望む雄大な空と海に、その名を重ねたと考えるのは単純すぎるかもしれないが。
灯台で潮騒をたっぷり浴びた後、近くの最御崎寺(ほつみさきじ)へと移動した。807年(大同2年)、嵯峨天皇の勅願で弘法大師が刻んだ虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)が本尊だ。四国霊場24番目の札所でもある。
白装束のお遍路さんたちに交じり、本堂にそっと手を合わせてから境内散策へ。参拝者らが落ち着きなく動き回るが、荘厳な空気は微動だにしない。
木造薬師如来、月光(がっこう)菩薩立像など、国の重要文化財が並ぶ中、左右1メートルほどの巨石が鎮座しているのに気づいた。前住職の島田信雄さん(64)が「小さな石でたたくと不思議な音がしますよ」と薦める。言われた通りにすると、巨石内部でピーンと澄んだ金属音が反響した。
「鐘石と呼ばれ、冥土(めいど)まで音が届くと言われているんです」と島田さん。
冥土はともかく、耳の奥に届いた神秘的な残響は、いつまでも余韻を残した。
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岬からクルマで20分ほど海岸線を北上すると、吉良川(きらがわ)町の古い町並みに迷い込む。旧街道沿いに白いなまこ壁、漆黒の水切り瓦の町家がズラリ。巨大な道具蔵や米蔵も目立ち、かつての繁栄の残り香が漂う。
「この一画は、明治後期から、土佐備長炭の生産で栄えたのです。古い町家以外には何もないですが」と吉良川町並み保存会会長の細木敏美さんが笑う。
しっかりと手入れの行き届いた町家の数々は、猛烈に間口が狭く、奥行きは深い。海からの風が、渡り廊下から母屋へと抜け、地域特有の夏の暑さを和らげてくれるのだという。想像しただけで心地よさそう。真夏にもう一度訪れ、麦茶でも片手に、土佐湾の風に吹かれてみたい気がする。
◎
次は山間部へ。すぐ隣の北川村に入ると、懐かしい日本の原風景に包み込まれた。峡谷の清流沿いに、ポツンポツンと集落が点在する。ここは国内有数のゆずの生産地でもある。
だが今回の目当ては印象派の画家クロード?モネ。巨匠の作品にも多く登場するフランス?ジヴェルニーの自宅がモデルとなった「モネの庭 マルモッタン」があると聞いていた。モネにまつわる庭園としては、世界で唯一、フランス芸術学士院から認められたものだという。
広大な敷地に入ると、まさに印象派の世界。3万平方メートルを埋め尽くす圧倒的な緑を背景に、チューリップ、パンジーなど春の花、それに池の水などの様々な色彩が溶け合っていた。
あちこちには、キャンバスに置かれたモネの複製画が飾られ、目の前の庭と対比されている。暗示にかかったためか、全体の色彩がにじんで見え、絵画の中にいるような錯覚に陥った。
「モネは光、水、花を大切に描いた。ここではそれを再現しようと、試行錯誤の繰り返しです」と儘田(ままだ)靖夫支配人(54)。
庭園から外に出ると、再び墨絵のような日本的で素朴な風景が。とはいえ、その淡い美しさはフランスの庭園に負けてはいない。
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□投稿者/カセイ旅行社 (2008-7-4 17:45:00)
古いお寺ー大召寺

内蒙古自治区は、中国北方の国境線地域に位置し、美しい草原と独特な少数民族の風俗を有しており、多くの宗教がここで共存しています。
大召寺は、内蒙古自治区の省都フフホト市の旧跡に位置し、モンゴル語で「イクジョ」と呼ばれ、大きいお寺を意味しています。大召寺は1580年、明の時代に立てられたもので、本堂で銀色のお釈迦様の仏像を祭っていることから、「銀仏寺」とも呼ばれています。大召寺で収蔵されている多くの文物は、モンゴル族の歴史と宗教文化を研究する上での貴重なデータです。

大召寺の建築様式は、漢民族のお寺の構造を採用し、その敷地面積は3万平方メートル、建築面積は8000平方メートルに達しています。主な建築物は、山門、天王殿、菩提過殿、九間楼、経堂、仏殿などといった仏教の伝統的な建物があり、そのうち、経堂と仏殿がつながっていることで、本堂となっています。本堂は、大召寺野中で唯一の漢民族とチベット族の宗教文化を融合させた建物です。前殿、経堂と仏殿からなっており、仏殿の真ん中に高さ2メートル余りの銀色の仏像が祭られています。このため、大召寺は、「銀仏寺」とも呼ばれています。仏像の前には、竜の彫刻が巻いている「通天柱」があり、その左と右には、ラマ教の創始者ーツォンガバとダライ3世、ダライ4世の銅像が祭られています。大召寺の文物の中で、銀色の仏像、竜の彫刻と壁画が一番有名で、「大召寺3大神技」と称えられています。

大召寺には、「チャーム」踊りという伝統的な仏教イベントがあります。すなわち、民間でよく伝わっている「魔よけ踊り」で、魔よけや、豊作と幸福を祈ることなどの意味があります。毎年旧暦のお正月と6月、大召寺は、大規模な「チャーム」踊りを行います。その時、僧侶たちは、特別な服装と仮面で神様の格好をして、ラッパや銅鑼などの伴奏に乗って踊ります。
ここ数年、内蒙古自治区政府は、巨額な資金を投入し、大召寺に対する修繕工事を行い、お寺周辺の倒壊寸前の住宅や店舗を取り壊し、大召寺の昔の容貌を再現しました。大召寺の西側の明清風俗街は、昔の家屋の建築様式を保っており、よく時代劇のロケ地に選ばれます。ここの骨董品や銅器などの細工も非常に有名です。
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□投稿者/カセイ旅行社 (2008-7-2 17:32:38)
タイ 最先端と伝統が一体
押し合いへし合いして水路を行き交う小舟の群れ。売り子の元気な声が響き、菓子を焼く甘い香りが漂う=バンコク郊外のダムヌン?サドゥアク水上マーケットで
エメラルド寺院や涅槃仏(ねはんぶつ)寺などの仏教寺院で知られるタイで、各所にトレンディーなスポットができたと聞いて訪れてみた。
まず首都バンコクを早朝に出発し、80キロほど南にあるダムヌン?サドゥアク水上マーケットに出かけた。両岸にマンゴーやドリアン、ドラゴンフルーツなど南国のフルーツを積み上げた店、木彫りの象やタイシルクのバッグなど土産物を売る店が並び、買い手は、目当ての店の前で小舟を止めてショッピングする。
揚げたてのバナナの天ぷらや、ココナツパンケーキを焼く甘い香りが漂ってきて、思わず「タウライクラップ(いくら?)」。周囲の舟でも客たちの手に、できたての菓子が。だれもが“甘い誘惑”に勝てなかったようだ。無理に商品を売りつけようとする店もなく、手こぎボートでゆっくり進むためか、タイらしいのんびりした雰囲気。
バンコク市内は交通渋滞で有名だが、高架鉄道(BTS)と地下鉄で快適に移動できるようになった。頭上をBTSが走るプルーンチット通りからスクンビット通りは、タイ一番のトレンディーなショッピングエリア。中でもサイアム駅付近には高級ブランド店が入る大型ショッピングセンターや流行グッズを売る店が並び、最新ファッションに身を包んだ若者が闊歩(かっぽ)している。
このエリアにはスパも多い。タイでは伝統の手法を取り入れたマッサージが特徴だ。多種のハーブを布に包んだハーバルボールによるマッサージもその一つ。ホテルのスパで体験してみた。温めたハーバルボールで首筋から背中をもみほぐされると、体中の緊張感がほぐれ、心地よい眠りに落ちてしまった。
ビーチ沿いにあるホテルのプールサイドで南国の太陽を楽しむ外国人観光客=ホアヒンで
街には鮮やかな黄色を身に着けた人が多い。一人の黄色いポロシャツ姿の女性に尋ねると、「黄色はプミポン国王の色。80歳になられたお祝いなのよ」とにっこり。街ではビルの壁面や施設の塀など各所に国王の写真が掲げられ、1月に他界した国王の姉ガラヤニ王女の祭壇も随所に設けられていた。仏像の祠(ほこら)も多く、供え物や線香を上げる人々が絶えない。最先端の街の中にも伝統が生きていることを感じた。
ここ数年、急速に発展中というリゾート地、ホアヒンに行ってみた。ホアヒンはバンコクから南南西に約200キロ、車で3時間ほどの、バンコク湾に臨む静かなビーチ地区だ。
20世紀初頭、英国領であったマレーシアからバンコクに至るマレー鉄道が開通し、ホアヒンは外国人の保養地。その後歴代国王の離宮や王族の別荘、ゴルフ場も建設されて、タイで最も格調の高いリゾート地の地位を保ってきた。
1910年から6年の歳月をかけて建設されたラマ5世のバンブン離宮、同6世のマルカッタイヤワン宮殿は一般に公開され、多くの人々が訪れている。
5キロに及ぶ海岸線には、豪華な別荘やリゾートホテルが並ぶ。ホアヒン地区の宿泊施設は180に上り、ユーロ高のヨーロッパからの観光客が急増中。
ホアヒン駅付近の一帯は、朝は地元の買い物客用だが、夜にはナイトマーケットとなり、ホテルのプールやビーチで1日を過ごした観光客が繰り出してくる。道路の両側にフルーツや土産物を売る屋台が続き、レストラン前の路上にテーブルが並ぶ。そこは大盛況で、ドイツ人グループがビールを片手に新鮮な魚介類に舌鼓を打ち、「タイは最高!」と盛り上がっていた。
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□投稿者/カセイ旅行社 (2008-6-6 12:11:14)
風光も食も「晴れの国」 岡山市(おかやまし)

1966年に復元された岡山城の天守閣。外壁の黒い下見板がカラスのぬれ羽色を思わせることから、烏城(うじょう)とも呼ばれる
ぽたぽたと、季節外れの重たいみぞれが土色の芝に吸い込まれてゆく。文章だけで想像すれば寒々しいが、たっぷり水気を含んだ目前の芝草は妙につやめき、温かみすら感じる。
旭川を挟み、岡山城の向こう岸いっぱいに広がる後楽園は、芝の存在感が圧倒的だ。ほぼ中心に位置する沢の池を囲み、2万平方メートルもある。威厳やいかめしさが付きものの大名庭園を軽快で明るい表情に変えている正体は、まさにこれだ。
「日本ならどこでも見かける野芝を使っています。築庭当時(17世紀末)は食糧確保のため大半が田畑だったのですが、一般公開が始まった明治の半ばから、次第に今のような姿になりました」。まばゆい黄緑のジャンパーを着込んだガイドさんの声も張りがある。
だいたい岡山駅正面の桃太郎像からして、左手をかざし遠くを見やる表情には明るい生気がみなぎっている。岡山が「晴れの国」と言われるのは、単に日照時間の多さ(降水量1ミリ未満の日が年平均276日、県庁所在地では1位)のせいばかりではない。旅の心を浮き立たせる華やぎが、土地の空気に染み入っているからだ。
その華やぎを、すし屋のたね箱に勢ぞろいした瀬戸内の魚介に感じた。まずサワラ。漢字で書くと鰆。岡山人はこのサバとヒラマサを足して割ったような春の魚を偏愛する。何せ岡山県内で全国消費量の3割を占めるのだ。
ほんのり薄紅色をした身はトロリとした滑らかさが身上で、脂は濃厚。が、くどくはない。「マグロのトロやブリのような力強い脂ではなく、優しい脂。おっとりしたイメージでしょうね」。つけ台(カウンター)の向こうでそう話す山本洋子さんは、握りの職人では極めて珍しい女性だ。
山本さんが岡山城近くで営む店は、風雅な庭に石畳をしつらえた数寄屋造り。中は茶室のようにわびた雰囲気を醸しつつ、なぜかカラリと明るい。
ホタルイカに似た子持ちのベイカ、みずみずしい透明感が個性的なベラタ(穴子の稚魚)、表皮がスパンコールのように輝くカスゴ(小ダイ)……。季節感たっぷりのたねはもちろん、山本さんの明朗快活な物腰に、やっぱり土地柄を感じる。
翌日、JR瀬戸大橋線で、瀬戸内海を間近に望む倉敷市の児島へ足を延ばした。「岡山へ行ったらぜひ訪ねてみて」と旅好きの俳人、吉田類さんに勧められたそのすし屋は港の岸壁ギリギリに立っていた。つけ台の向こう一面に広がる窓から、瀬戸内の穏やかな海や島影が手に取るように迫る。
「やはり今はサワラ。生をちょっとあぶるとまた面白いんです」。店主の言葉どおり、銀箔(ぎんぱく)の表皮にこんがり焼き目を入れた身は、すがすがしい香ばしさがジンワリ鼻をかすめる。春がすみに揺らめく窓外の多島美そのものの味わいだ。
再び岡山市内に戻り、吉備路文学館へ立ち寄った。あさのあつこ、阿部知二、石川達三、井伏鱒二、内田百、小川洋子……。明治以来の近代文学に名を成したかの地の作家が150人を軽く超えることに改めて驚く。
山海の幸を彩りよく盛り込んだ名物のばらずしを持ち出すまでもなく、昔から飢えやひもじさとはおよそ無縁の豊かな地に生を受けた心の余裕が、これほどの多芸多才をはぐくんだと考えるのは、安易に過ぎるだろうか。
いや、<蓮根はあの穴がウマイ>とのたまう百の強烈な遊び心を思うにつけ、厳寒と濃霧の港町に育った道産子には、晴れの国の鷹揚(おうよう)さはうらやましくもあり、恨めしくもある。
(2008年3月17日 読売新聞)
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□投稿者/カセイ旅行社 (2008-6-4 17:33:10)
青島のビール町
2008-03-17

青島は日本の方々にはお馴染みのところでしょう。多くの日本人は青島ビールを飲んだことがあると思います。青島ビールと言えば、ある古い町を紹介しなければなりません。100年の歴史があるビールの町です。青島市市北区の登州路にあり、全長700メートルあります。1897年、ドイツが青島を占領した時、ドイツ軍がこの町に駐留しました。ご存知のように、ドイツはいわばビールの本家で、ドイツ人は世界一ビール好きです。ちょうど、この町には水がおいしい井戸があります。ドイツ軍が駐留した当時、この井戸の水で非常においしいビールが出来ました。そして、1903年、この町にヨーロッパの技術による中国最初のビール工場が出来ました。
そのビール工場をきっかけにだんだんビールの町が出来ていきました。100年ぐらい経って、青島の特色のあるビールの町が出来ました。今、この町にはビヤホールやバーなどが合わせて65箇所あります。毎日、青島ビールの工場からその日に作った新鮮なビールが運ばれます。その上、青島は海の幸の名所です。新鮮なビールとおいしい海鮮料理があるから、青島市民が集まるだけでなく、国内外からの観光客も大勢訪れる名所となっています。
この古いビールの町のもともとの雰囲気を守っていくために、青島市は改修工事を行いました。現在、町の両側には多くのヨーロッパ様式の建物が並んでいます。町の主な色は緑です。その上に、赤と白が組み入れられて、素朴ながら美しいです。波、貝、熱帯魚など20余りのデザインがあちこちに見られます。また、町にあるいろいろなものがビールをイメージしています。例えば道端にあるベンチはビール瓶の形、ゴミ箱はビヤ樽の形になっています……。路上には様々な漫画化された動物の模様が描かれています。それは、今まで行われた青島ビール祭りのマスコットになったものです。
また、この町にはもう一つどうしても訪ねて欲しいところがあります。ビール博物館です。2003年、青島ビール誕生100周年を記念するために、青島ビール会社は100年の歴史のある古い工場を博物館に改造しました。これは、中国初のビール博物館です。この博物館はすでに中国の重点文物保護施設となっています。博物館にはすごいスローガンがあります。「1時間を与えて、100年を還す」という言葉です。これについて、博物館の董方館長は「博物館を見て回るのにおよそ1時間かかります。その1時間で青島ビールが発展してきた100年の歴史を知ることが出来ます。青島ビール工場の設立から、発展の過程、それから今の状況まで紹介しています。中国で初めてのビール工場のビールの製法や、現在世界で最も先進的なビール製造技術なども展示されています。」と述べました。
博物館は、100年の歴史と文化や、生産技術などの区域に分かれています。写真や資料などによって、ビールの起源と歴史が分かります。生産技術の区域には古い設備が置かれ、昔の生産の様子を再現しています。また、別の区域では味の違う青島ビールを味わうことが出来ます。

それから、博物館には観光客が参加できる体験コーナーやゲームなどがあります。例えば、一番人気があるのは酔っぱらい小屋というところです。つまり酔っぱらった感覚を味わえる小屋です。その小屋に入り、また出てくる時はまるで酔っぱらったようになります。
博物館を訪れたら、出来たばかりの最も新鮮なビールを飲んでください。それは、普段ほかのところで飲む青島ビールとまた違います。興味のある方は足を運んでみてはいかがでしょう。
アクセス仕方:
ビールの町は、青島の市北区の登州路にあります。市内バスを利用して簡単に行けます。町には特色のあるバーやレストランなどが多く、おいしい海鮮料理を食べることが出来ます。1人で大体数十元、日本円にすれば1500円足らずで済みます。
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□投稿者/カセイ旅行社 (2008-5-30 17:53:49)
新ダイヤ出発進行、ロマンスカー地下鉄直通
停車駅増やし混雑分散 モバイルSuicaで新幹線
鉄道大手の春のダイヤ改正が15日から始まる。小田急電鉄の特急「ロマンスカー」が、初めて地下鉄に乗り入れて、北千住から箱根湯本まで直通運転し、通勤?通学と週末の観光の両面で輸送力を強化する。
新幹線も新型車両の増発や、予約機能の向上などに取り組む。都市部の各路線は車両の増発はなかなか難しいが、ダイヤ改正による通勤路線の混雑緩和が期待されている。(鎌田秀男)
◇二つの顔
小田急は3年ぶりにロマンスカーの新車両を投入し、東京メトロ千代田線に乗り入れる。平日は小田急沿線のベッドタウンと、霞ヶ関?大手町を結ぶ「ビジネス特急」として上下4本を運行する。特急料金は大手町―町田間で片道600円。全席指定で、予約が取れれば必ず座れ、平日、大手町―本厚木間を約60分で結ぶ。小田急は「通勤の疲れを少しでもいやしてほしい」と、快適性を売りにしている。
ロマンスカーは土曜?休日は都心の北千住から表参道を経由して小田原、箱根までを120分で結ぶ「観光特急」として運行する。15日の北千住発箱根湯本行き始発列車は、特急券が発売後5分で売り切れたという。都心から温泉地まで約2時間という便利さに、新車両の珍しさで関心が高まっている。
◇混雑率199%
首都圏の私鉄は、混雑と遅れが常態化している。東京メトロ東西線は最混雑区間の混雑率が199%(2006年度)と、私鉄では最も深刻だ。「設備の面から列車の増発は難しい」(東京メトロ)ため、東西線はラッシュ時に快速列車の停車駅を増やして混雑を分散させる。
東京急行電鉄は28日、大井町線で急行運転を始め、二子玉川―大井町間の所要時間を約6分短縮する。私鉄では東西線に次いで196%(同)と混雑率の高い東急?田園都市線で都心に向かう乗客を、途中駅で接続する大井町線に分散させる狙いだ。
◇新幹線
JR東海は、東海道新幹線の全便を、品川、新横浜に停車させる。関西方面から上り線を利用する乗客の利便性を重視したという。ビジネス客を中心に人気が高い最新鋭のN700系列車は、現在の約1?5倍の1日43本に増やす。
また、JR東日本は、携帯電話をかざせば駅の自動改札を通過できる「モバイルSuica(スイカ)」の機能を拡充して、東北、上越など同社のすべての新幹線に乗車できるサービス「モバイルSuica特急券」を15日から始める。
事前の登録、座席予約が必要だが、駅の窓口や券売機で切符を受け取る必要がなく、運賃も通常の切符より割安になる。JR東海も29日から、東海道新幹線で切符が不要になる同様のサービスを導入する。
混雑率 乗客数を定員で割った数値。日本民営鉄道協会によると、200%では「体が触れ合い、相当な圧迫感があるが、週刊誌なら何とか読める」水準という。
(2008年3月15日 読売新聞)
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□投稿者/カセイ旅行社 (2008-5-28 17:35:36)
近代技術とアイデアの結晶
滋賀で生まれ育った私としては、これだけの事業の成功を知らなかった事に、感動と共に恥ずかしさを覚えた。琵琶湖疎水の計画は産業の衰退が著しかった京都復興の大事業として計画されたものだった。製作には当時としては画期的な数々の技術が取り入れられており、主任技術者を任されたという若干21歳の田邉朔郎の設計に驚かされる。水運路としても利用されてきた琵琶湖疎水だが、流通が代わり水運がされなくなった今日でも、京都の人々の生活用水として利用されている。
水の無くなったインクラインを歩く。ここは当時高低差が大きいため、水運用の船を線路の上の台車へのせて移動させていた道だ。およそ500メートルはあろうかという坂道に線路が敷かれ、中腹には昔使われていた台車が停められている。今でも使えそうな、使い古された台車は動きつづけた線路の上で眠る。この辺り一体が過ぎ去った文化の、祭りの後のような少し寂しい感じがする。
南禅寺境内を通る水路閣は、赤煉瓦の水路がかなり異質に感じる。琵琶湖から引かれた水はこの場所を通り、平安神宮の前へと流れつく。その流れは実に豊かだ。春、水路やインクラインの坂道は、賑わいを見せる。この豊かな流れにのって春の桜はおおいに咲き誇るという。
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□投稿者/カセイ旅行社 (2008-5-23 17:28:44)
ポカラ ネパール ヒマラヤに舞う鳥のように
モーターグライダーに乗って、いくつも雲を越えると、ヒマラヤの山が目の前に迫ってくる=ネパールのポカラで
山道たどり尾根の村へ
「世界の屋根」と呼ばれるヒマラヤ山脈。8千メートル級の山に登るのは無理だが、せめて近くで見ることはできないかと、ネパール第二の都市、ポカラに向かった。
ポカラは首都カトマンズから西へ200キロ。飛行機で約30分。ネパール最大の湖フェワ湖とアンナプルナの山々の展望が有名。「ポカラに行ってないなら、ネパールを見たことにならない」という言葉があるほどネパールを代表する景勝地だ。
ポカラに到着して飛行場を出ると、まず目に飛び込んでくるのがマチャプチャレ(6993メートル)。「魚の尾」という意味で、頂上が二またに分かれていることからこの名前がついた。ポカラを象徴する山で、地元の人は「聖なる山」としてあがめている。白く輝く山がポカラの街を見守っているようだ。
ヒマラヤというと寒いというイメージがあるが、ポカラの標高は800メートルで、カトマンズより低く暖かい。12月中旬に訪れたが、日中はコートを着ていると汗ばむほどの陽気だった。
ポカラ周辺には、1泊2日から1週間までさまざまなトレッキングルートがあり、ヒマラヤの景観と村の暮らしを見て回ることができる。今回は、尾根の村ダンプスヘ向かった。山のふもとから1時間半ほど登ればダンプスに着く。
ポカラから車で、急な山道を揺られながら行くと、突然、展望が開ける。グルン族特有の土壁の農家や畑が広がる。ダンプスだ。道端では水牛がのんびりと草をはんでいる。小さな棚畑が頂上まで続いている。民族衣装を着た女性たちが、大きなかごを額にかけて歩いていく。
「ナマステ」(ネパール語でこんにちは)。細い山道を歩いていると、制服姿の子どもたちが、両手を体の前で合わせ、あいさつしてくれる。恥ずかしそうな笑みに誘われ、こちらも自然と「ナマステ」。子どもたちは人懐こく、どんどん駆け寄ってくる。
日本の旅行会社が経営するロッジ「月の家」に泊まった。庭からはマチャプチャレやアンナプルナ連峰が目の前に広がる。山の夜は長く、静かだ。食堂のいろりを囲みながら、ネパールの地酒、ロキシーをいただく。アワから作った蒸留酒で、焼酎より香りが強い。口に含むと、甘い香りとは裏腹にかなりアルコール度は強い。
のどかに見えるダンプス村だが、ふもとまで道路が整備され、少しずつ都会の影響を受けているという。伝統的な土壁の家は姿を消し、トタンの屋根や壁が増え、昔の面影が消えていっている。山岳ガイドのラジェス?カパリさん(36)も「土壁だと冬は暖かく、夏は涼しいんです。村が変わるのは寂しいです」と話す。
目の前にそびえる山々に登る脚力はとてもない。そこで、モーターグライダーで上空から山を眺めるマウンテンフライトを体験した。ハンググライダーにエンジンを付けたシンプルな機体。パイロットと2人乗りで、吹きさらしだ。離陸するとぐんぐん高度を上げ、上昇する。冷たい空気が肌を刺す。最初は乱気流に入った旅客機のような揺れの大きさに驚き、「墜落するんじゃないか」とおびえていたが、雲をいくつも突き抜けていると、いつの間にか気分は“大空にはばたく鳥”。
パイロットが指さす方を見ると、正面にはマチャプチャレが大きく迫ってくる。手を伸ばせば届きそうだ。アンナプルナも白く輝き、その迫力に圧倒される。グライダーはその後、ポカラの市街、フェワ湖の上を旋回する。
ポカラでは、街のどこからでも山が見える。雄大な山々を眺めていると仕事に追われる日常を忘れ、時間が止まったような気がする。「ポカラに来るとのんびりできる」という人の気持ちが分かる気がした。
(2008年2月23日 夕刊)
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□投稿者/カセイ旅行社 (2008-5-16 17:29:11)
沖縄本島で行きたい観光地

美ら海水族館
1位に選ばれた「美ら海水族館」は、世界最大級の大水槽が有名で、巨大水槽の中で泳ぐジンベイザメの姿は迫力満点。映画「ドルフィンブルー」の舞台ともなり、益々多くの観光客が訪れるようになった。
2位の首里城は沖縄の歴史?文化を象徴しており、その歴史は琉球王国の歴史そのものといわれている。首里城に投票した人のコメントを見ても、「沖縄の歴史を知りたいから」「歴史的建造物だから」という意見が多くみられた。
3位のひめゆりの塔は、「戦争の惨劇を忘れないように、一度は足を運んで自分の目で確かめたい」といったコメントが多く、その土地の歴史を学びたいというユーザーの投票が多く集まる結果となった。
| 1位 |
美ら海水族館 |
1037 |
| 2位 |
首里城 |
323 |
| 3位 |
ひめゆりの塔 |
123 |
| 4位 |
やんばるの森 |
80 |
| 5位 |
海中道路 |
74 |
| 6位 |
琉球村 |
53 |
| 7位 |
ナゴパイナップルパーク |
48 |
| 8位 |
DFSギャラリア沖縄 |
47 |
| 9位 |
おきなわワールド(玉泉洞) |
46 |
| 10位 |
海中展望台 |
36 |
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□投稿者/カセイ旅行社 (2008-5-14 17:42:22)
湖と火山と人が共生 北海道?洞爺湖(とうやこ)

有珠山の中腹から洞爺湖を望む。湖水は青く澄んだまま、冬も凍らない
北海道の春は遅い。道南の洞爺湖でも、例年4月いっぱいは山々に雪が残る。その雪の上を歩き、冬ならではの自然を体感できるツアーがあると聞いた。
洞爺湖温泉街に着くと、洞爺ガイドセンターの福島豪さん(30)が出迎えてくれた。まずは、スノーシューのはき方を教わる。長靴に、四角いプラスチックの板を付ける。現代版の「かんじき」だ。
「足を上げ過ぎず、引きずるように歩けば、すぐに慣れます」。福島さんは言うが、一歩踏み出すと、積もった粉雪に、ズボリと足が沈む。底なし沼にはまりそうで、バタバタともがく。氷点下2度なのに汗ばんでくる。
ガイドなしでは通れないゲートを抜け、新雪の上を歩き出した。目指すは、湖のすぐ背後にそびえる有珠山(うすざん)の火口。2000年の噴火でできた西山山麓(さんろく)火口群が間近で見られるという。雪の下には散策路が整備され、冬でなければ簡単に火口に近付ける。だが雪の季節には、静けさの中、小動物の足跡などを観察しながら進む楽しみがある。
なだらかな坂を上ること10分、福島さんが足を止めた。「今上っているこの道、噴火前は下り坂だったんです」
8年前の噴火は、この道のすぐそばに新たな火口を作り、道路を寸断した。その結果、火口付近が最大70メートル隆起して、山肌に新しいこぶを作ったという。
さらに歩くと、雪が解けてアスファルト舗装の道路がむき出しになっていた。火山活動でずたずたに断裂した無残な姿にたじろぐ。この場所だけ雪がない。それどころか、割れた舗装のすき間にはコケも生えている。地面とマグマが近い証拠だ。火口がいよいよ迫ってきた。
再び福島さんが足を止める。「何か聞こえませんか」
ゴー――低く、太く、ややかすれた音。飛行機の音か?
「そう聞こえるでしょう。でも、違うんです」。なんと、噴気孔から水蒸気が上がる音だった。この火山、元気に生きている――。今にも噴火しそうでぞっとした。火口の一つに近づいてのぞき込むと、無数の穴が白い水蒸気をはき出していた。
地面に腰を下ろす。スキーウエア越しにも尻が温かく、ホットカーペットのよう。噴火口の向こうには、市街地越しに海が陽光に照らされて輝いている。絶景だ。雪の上で汗だくになったかいがあった。
◎
ふもとに戻り、宿の自慢、源泉掛け流しの湯船につかる。茶褐色の湯がさらりと肌に優しい。凝り固まっていた心までほぐされるようだ。この温泉も1910年の噴火をきっかけに発見された。まさに火山のたまものだ。「洞爺湖の歴史は火山との共生の歴史だから」――2000年に噴火の取材で訪れた際、避難住民への対応に追われながら、壮瞥町(そうべつちょう)役場の職員がつぶやいていたのを思い出した。
翌日、洞爺湖ビジターセンターと併設の火山科学館を訪ねた。生々しい展示に息をのむ。軽トラックは、火山弾を受けて荷台がめちゃめちゃにこわれ、JR室蘭線のレールは2本並行のままくにゃりと曲がっている。前日、間近に見たばかりの火口がどれだけのエネルギーを噴出させたかがひしひしと伝わる。
センター職員の阿久津春幸さん(50)は、自身も67日間の避難所生活を送った。それでも山を恨んではいない。「有珠山は噴火の前に必ず地震などの予兆がある。注意深く耳を傾ければ教えてくれる優しい山なんです」。8年前の噴火も予知が成功して死傷者を出さなかった。
◎
地味豊かな洞爺湖周辺は、昔から豆類の栽培が盛んだ。特産の大福豆は、見た目が真っ白で味が良く、白あんなど和菓子の材料として重宝されてきた。温泉街の食堂「岡田屋」で、大福豆を小豆の代わりに使った「白いおしるこ」を味わった。優しい甘みに、地元の牧場で絞ったばかりの牛乳の濃厚なコクが加わり、白玉と良く合う。冷えた体に何よりのごちそうだった。
夏にはサミットでにぎやかになるだろうこの地も、今は雪と静寂に包まれたまま、春の訪れを待っていた。(清岡央、写真も)
(2008年3月10日 読売新聞)
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□投稿者/カセイ旅行社 (2008-5-12 17:41:40)
中華老舗ー爆肚馮

北京の伝統食といえば北京ダックなどを思いがちですが、街角の屋台で、おやつ代わりに食べられるようなちょっとした軽食に面白いものが多いです。「糖葫芦」「ジャージャン面」など???。今日ご紹介するのは、北京の庶民の味、「爆肚」という食べ物で、北京の人なら誰でも知っている軽食なのです。爆肚の「肚」は、中国語で「おなか」のことなので、内臓を使った料理です。
「爆肚」に使われているのは、牛と羊の胃袋。胃袋をスライスしてだし汁で煮たもので、それに調味料につけて食べるシンプルな料理です。見た目はちょっとグロテスクな感じですが、口に入れると、すごく歯ごたえがあって、味は最高です。日本流に言えば「内蔵(モツ)煮込み」と言えそうです。
美味しい店の「爆肚」は、まるでキュウリをかじっているような歯ごたえがあると聞きました。また、牛と羊では、胃袋の硬さが違いますが、羊の胃袋のほうが柔らかくて口あたりが良いので、初心者には羊のほうがお勧めかもしれません。
お勧めしたい老舗は、「爆肚馮」という老舗です。北京?天安門の反対側にある前門にあって、百年以上の歴史があり、昔から評判の美食店です。店構えは目立たないのですが、毎日お客さんでごったがえしています。
このお店の3代目店長、70歳を超えてもお元気な馮広聚さんはいろいろ説明してくれました。
この店には、秘伝の調味料があるそうです。それは、店が守りつづけている伝統の味で、この味に魅せれて通ってくれる常連客も多いとか。醤油やお酢、ごまみそ、ごま油のほか、豆腐を発酵させ塩漬けしたフールー、ネギ、ニンニク、コウサイなどを使って、秘伝の調味料です。
たくさんの具をブレンドした調味料といえば、しゃぶしゃぶのたれのイメージに近いかもしれません。馮さんのお店の調味料は、まさに絶品です。店に来ていた常連客は、「ここの爆肚が大好きで、毎週通っている。北京出身ではないでが、この食べ物は本当に気に入っている。特にここの爆肚は歯ごたえもあるし、調味料も独特で、北京一だ」と絶賛していました。ちなみに、この店では、お客さんが爆肚作りを体験することもできます。コックさんが立ち合って指導してくれます。
北京独特の料理というとたくさんありますが、意外と知られていないものも多いかもしれません。ひとつひとつが奥深いので、機会があればぜひ味わってほしいです。
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□投稿者/カセイ旅行社 (2008-5-9 17:45:03)
ピナクルズ オーストラリア 6千万年かけ誕生の奇岩
一体一体がさまざまな顔を持つピナクルズ=オーストラリア?ナンブング国立公園で
緑濃い都市部、人々憩う
最果ての地、がこの世にあるとすれば、ここはまさにふさわしい。
見渡す限りの乾いた砂地から、天空に突き出す無数の岩の塔。海や大地や雨や風が、長い長いときをかけてつくり上げた奇景は、時の感覚を心地よくまひさせてくれる。
西オーストラリア随一の都市パースから車に揺られること3時間半。ナンブング国立公園の中にピナクルズ(尖塔群=せんとうぐん)はある。
ガイドのジェイソンさん(34)がまず紹介してくれたのは「2匹のコアラ」そっくりの岩。他にも「帽子をかぶった魔術師」「鼻のないゾウ」などなど、複雑に削られた岩たちは想像力をかきたてる。
それにしてもどうやってこんなものができたのか。理解するにはこの地がたどった4つの時代にタイムスリップする必要がある。
まずは海−。太古の昔、ここは海底だった。やがて海水面が後退し、砂地の上に貝殻が残された。
冬の雨が貝殻の石灰分を濾(こ)しとり地下に浸透。砂地の下に石灰岩の層をつくりあげた。
その後砂地の上に森ができ、木が下へ根を伸ばすことで地層の中に無数の溝ができた。
やがて森は消え、風が砂を吹き飛ばすことで、石灰岩の尖塔が現れた。岩は今も風や雨に浸食され、わずかに姿を変えつつある。
ピナクルズは六千万年かけてできあがったという。先住民のアボリジニがオーストラリアに移住したのは五万年前。英国人が入植を始めたのはわずか220年前のことだ。
「なんという遥かな営みだろう」と思わず感嘆。次はどんな姿に変わるのか、人類はそれを見ることができるのか、などと興味は尽きない。
それにしても…暑い。訪れた3月初旬は日本の9月初旬に当たる。ジェイソンさんは「37度ぐらい」と言うけれど、砂漠の中でこうも容赦なく照りつけられては…。生身の体では1時間が限界だ。
ピナクルズを後にし、車で15分のインド洋へザブン。南極の氷が解け出したという水はひんやりと気持ちいい。サウナから水風呂に入った気分だ。おまけに塩分が濃く、体がぷかぷかと軽く浮く。
キングスパークから見下ろすパース市街。右側にスワン川がゆったりと流れる
ピナクルズへの前線基地でもあるパースに戻った。荒涼とした世界とは打って変わって、スワン川沿いに開けた緑豊かな美しい都市だ。
高層ビル街のふもとに商店街があり、休日は老若男女でごった返す。新しいブランドの店もあれば、英国中世の雰囲気を残すアーケードもあり、いろいろな「顔」を持つ。
車で5分走れば、中心部を見晴らす高台に「キングスパーク」がある。見渡せば左手に高層ビル、その前をスワン川がゆったり流れ、空はどこまでも澄み渡っている。この景色を見ただけでも来たかいがあった。
パースからスワン川沿いに20キロ下れば、19世紀の建物が数多く残る港町フリーマントルだ。マーケットには八百屋のほか洋服、アクセサリー、おもちゃなどの露店が並び、縁日の雰囲気が漂う。
波止場や川沿いには幾つものシーフードレストランが。イセエビ、ムール貝、カキ、イカ。どの料理もシンプルでうまい。インド洋に沈む夕日を眺めながら魚や貝をほおばり、ワイングラスを傾ける。心を豊かに満たしながら夜は更けてゆく。
パース、フリーマントルともに特別な見ものがあるわけではない。しかし、住人たちはみなビーチで、公園で、カフェでゆったりと思い思いの時を楽しんでいる。その秘密は? 現地在住の人からはこんな答えが返ってきた。「鉱物資源が豊富で経済が豊かだから」「休みをしっかりとる習慣があるから」「家族や友達と過ごす時間を大切にしているから」
今回の旅でたどった荒野と都市。対照的な二カ所だが、どちらにも日本とは異なる時の流れが確かに存在している。(文?写真 垣見洋樹)
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□投稿者/カセイ旅行社 (2008-5-7 17:38:00)
胡同張北京民俗博物館
2008-03-10 中国国際放送局

北京には、胡同(フートン)張北京民俗博物館というところあります。北京の伝統文化が大好きな人が創設した個人の博物館です。胡同は北京文化の代表で、張は創立者の名字です。そのため、こういう特別な名前が付けられました。
フートン張博物館は北京市西部の盧溝橋の近くにあります。敷地面積は700平方メートル余りで、中には100枚余りの古い写真のほか、千点以上の北京の伝統芸術品や民俗資料などが展示されています。
博物館に入ったら、北京太鼓のメロディーが聞こえます。目の前に展示されているいろいろな展示物が古い北京のことを伝えてくれます。その中で、最も代表的なのは、北京の古い町の様子を紹介した「北京の味」という展示コーナーです。100メートルあまりのコーナーに、1920年代の北京の下町や市民生活の様子を再現しています。まるで、縮小した町みたいです。
ここを歩くと、80年も前の北京の下町の雰囲気が味わえます。例えば、今も有名な北京の老舗も多くありますし、それから服装の店や総菜屋さんなどもあります。全部で140余りの店舗があるそうです。それから、昔町を走っていた様々な交通機関や、生き生きとした泥人形など……、本当に面白いです。実は、この「北京の味」という小さい町は、博物館の館長である張毓ジュンさんが一人で作ったものです。今年47歳の張毓ジュン館長は、もともと郵便局で働いていました。でも、北京の伝統文化に惹かれるあまり、すべての財産をつぎ込んでこの博物館を開きました。いろいろな資料を調べ、様々な品物を収集しながら、10年もかかって、張毓ジュン館長はようやくこの「北京の味」を作り上げました。「北京の味」について、張毓ジュン館長は「出来たばかりの時は、そこに置かれたものを見ると、どうしても離れたくないんです。まるで昔の北京に戻ったような気がしました。その中を歩いて歩いて、数え切れないほど回りました。毎回受ける感じが違います。朝、午前中、夜、目の前のフートンはそれぞれ全く違います。本当に美しいと思います。私は、その中に溶け込んでいるような感じが大好きです。」と述べました。
また、この博物館には解説員もいます。見学するとき解説員がついてくれれば、もっといいです。例えば、天合成という絹糸の老舗に関して、解説員は次のエピソードを紹介してくれました。「大きなキセルは、絹糸の老舗である天合成の目印です。昔、多くの女性は字が読めませんでした。市場へ行って天合成を探したけれど、字が読めないので、間違ってほかの店に入ってしまいました。ほかの店にお客を取られてしまった天合成のオーナーは、目印として店の入り口に大きなキセルを掲げました。天合成に行こうとするお客さんは、大きなキセルを見ればすぐ分かります。そのため、天合成の店は大キセルと呼ばれていました。」

展示品や、エピソードのほか、ここにはいろいろなおもちゃがあります。1950年代のものが特に多いですが、例えば推鉄環(輪回し)や、空竹(こま回し)、水哨(水笛)などがあります。例えば、推鉄環(輪回し)ですが、細い鉄の棒で、鉄の輪を押しながら走る遊びです。コツはうまく鉄の輪のバランスを取ることです。ちょっと難しいですが、当時男の子に非常に人気のあった遊びです。
入館者は疲れたら2階に行って京劇を聞いたり、北京の軽食を食べたりすることが出来ます。ここに来たら、1日があっという間に過ぎてしまいます。ここが気に入って、何回も訪れる人も多いそうです。フィンランドから北京に来ているマディ?レーリマさんもその一人です。マディ?レーリマさんは「友達の紹介でここに来ました。今日ここに来たのは、半年の間で四回目です。ここが大好きです。北京の古い建物を見られますし、昔のおもちゃで遊ぶことも出来ます。私のふるさとのフィンランドには、このような個人の博物館が多いです。どれも特色があります。このフートン張博物館は本当にいいところです。もっと多くの外国人が好きになってほしいです。」と述べました。
実は、フートン張博物館は個人経営なので、運営する上で難しいことが沢山あります。そのため、北京の伝統文化が好きな人々から援助を受けています。自分の家で長年保存していた物を寄付する人もいますし、自分の作品を贈る芸術家もいます。それから、多くの人が博物館のボランティアに参加しています。そのうちの一人の張君さんは「私は、ここでボランティアをしています。最初は、博物館を見学に来ました。中国文化に興味があるので、すぐ好きになったのです。子供の頃ずっとフートンに住んでいたので、フートン文化に特別な気持ちがあります。今は、四合院やフートンがだんだん消えつつあるので、自然に責任感が生まれてきました」と述べました。
最後に、張毓ジュン館長は希望を聞かせてもらいました。「北京の人にもっと北京を愛してほしい。ほかのところから来た人々に北京を知ってほしい。海外の友人に歴史豊かな中国を知ってほしい」と語りました。
アクセス仕方:
フートン張北京民俗博物館は北京西部の盧溝橋の近くにあります。開放時間は朝9時から午後5時までです。チケットは10元、日本円にすれば160円です。その周りには、北京で最も古いアーチ型の石の橋である盧溝橋のほか、多くの老舗が並んでします。北京市内からのバスで簡単にいけます。
それから、盧溝橋も北京の名所のひとつです。北京の伝統文化に興味を持つ方はどうぞ足を運んでください。
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□投稿者/カセイ旅行社 (2008-5-5 17:25:17)
オリエント急行 ベネチア―パリ 豪華な空間に貴婦人気分
乗車前、乗客の相談を受ける食堂車のスタッフ=ベネチアのサンタ?ルチア駅で
上流階級の歴史物語る
イタリアの陽光に、金色の文字「EXPRESS EUROPEENS」が輝いていた。白い屋根、深みのある青で彩られた車体に金のラインが走る。「走る貴婦人」と称され、世界一の豪華さを誇る「オリエント急行」。そのベネチア発ロンドン行きに乗り、パリまでの車中1泊の旅を楽しんだ。
ベネチアのサンタ?ルチア駅のホームには、17両編成のあこがれの列車が待っていた。「ウエルカム、マダム」。寝台車の乗車口で、青い制服と制帽姿の客室世話係がにこやかに迎えてくれる。背中がこそばゆくなりながら、手を取られて乗り込むと、そこはもう、華やかなヨーロッパ社交界をほうふつさせる空間だった。
オリエント急行は、19世紀末にヨーロッパ横断直通列車として誕生。上流階級の優雅な旅を歴史づくってきたが、飛行機の普及に押され、1977年に姿を消した。その後、アメリカ人実業家が散逸した車両を買い集め、オリジナル通りに内装から食器まで再現して、よみがえらせた。車両は、全盛の1920年代に製造されたもので、壁面はどっしりとしたマホガニーがつややか。繊細な寄せ木細工が美しい。
客室係のマシュー君が車内説明にきた。はにかんだ笑顔が印象的な青年は私たちには英語で、隣室ではフランス語で話している。さすが国際列車。ちなみに車内はイタリア語もオーケー。乗客は夫婦づれが多く、新婚旅行らしいカップルも。年配の夫婦がくつろぐ姿には人生を重ねた余裕が漂い、列車に、さらに風格を加えているように見える。
このロンドン行きのコースは、車窓からヨーロッパアルプスの山々やチロル地方の眺めも魅力で、山岳ルートに入ったとき、ちょうどアフタヌーンティーの時間に。クリームたっぷりのケーキに熱い紅茶がおいしい。列車は国境越えのブレンネロ駅に到着し、駅にはイタリアとオーストリアの国旗が並ぶ。
内装を凝らした食堂車での夕食。ドレス姿の女性やタキシードの男性で華やかな雰囲気が漂う=オーストリア国内で
そうこうするうち、レストランマネジャーが夕食の時間を聞きにきた。オリエント急行は、調度品の豪華さや至れり尽くせりのもてなしもそうだが、やはり食事が一番楽しみ。3両ある食堂車は優美な寄せ木細工、ルネ?ラリックのガラスパネル、中国風のペイントと、それぞれ内装が異なり、好みの雰囲気の車両を選ぶことができる。
乗客も夕食時には正装し、男性がタキシード、女性はイブニングドレスが基本だ。慣れないながらドレスに着替えると、淑女気取りで心も浮き立つ。そしてまず、バー車両で食前酒を。ピアノの生演奏が流れる中、オリジナルカクテル「アガサ」を注文した。「オリエント急行殺人事件」を執筆し、この列車を愛したアガサ?クリスティにちなんだカクテルだから、ファンの一人として前から決めていた。赤と黄の対比が美しくさっぱりとした味だった。
食堂車では、メーンダイニングを取り仕切るフランコさんが、いすを引いて座らせてくれる。メニューは前菜がマグロのカルパッチョ。メーンはフォアグラのせカモの胸肉のロースト、アーティーチョークのソテー、チーズ?セレクション。デザートはホワイトチョコレートのクレープ。一皿ずつ運んでくれる料理はどれも美しく、おいしい。カモの上のフォアグラは私の親指より大きいサイズがいくつものっている。ぜいたくな味わいに、思わずため息。少し量が多いが、残してはもったいない。
客室に戻ると、ソファは二段ベッドに変わっていた。毛布にくるまると、レールの響きを気にする間もなく寝入ってしまった。
翌朝、クロワッサンやコーヒー、カットフルーツなどの朝食を楽しむうち、車窓に通勤する車の列、都会の街並みが見え、私の降りる駅に近づくのが分かる。午前8時23分。定刻通りに、パリ東駅に到着。ベネチアから1282キロ。少し背伸びした夢の旅だった。
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□投稿者/カセイ旅行社 (2008-5-2 17:11:45)
産業観光で まちおこし
大人も楽しめる工場見学
地域おこしを狙った産業観光ツアーが人気を集めている。地方の工場や旅行会社などが、地元の工場見学を目玉に地域の観光を組み合わせているのが特徴だ。
モノ作りの現場を見られる「大人の社会科見学」とも言える産業観光は、地方都市に人を呼び込む新たな仕掛けとして注目されそうだ。(向野晋)
◇無料ツアー
富山県黒部市の大手ファスナーメーカーのYKK黒部事業所は、東京ドーム41個分にあたる190万平方メートルと、同社の国内最大の工場だ。YKKは2006年7月から黒部事業所と富山湾に面した漁村の見学コースをセットにしたバスツアーを実施している。
見学コースの工場建屋は約29万平方メートルと巨大で、マイクロバスがそのまま建屋内に入り、生産ラインを見学する。このラインでは1日200万本のファスナーが生産されている。工場隣の展示ホールでは、約20人の参加者がファスナーの意外な用途の説明を聞いて、驚きの声を上げていた。青函トンネル全長53?85キロ?メートルの天井部分を覆う樹脂製のカバーに7000本のファスナーが使われていたり、米航空宇宙局(NASA)の宇宙服などにも使われている実例が紹介されていた。
富山県の石井隆一知事の要請を受けてYKKが始めたこのツアーは無料。宿泊施設は参加者が確保する必要があるが、今年1月末までに、50〜60歳代を中心に1万1400人が訪れた。このうち、約3割は県外からだ。
◇多様なコース
ものづくりの集積地の中部地方では、財団法人?名古屋観光コンベンションビューローが地元の旅行会社の名鉄観光サービス、名阪近鉄旅行と手を組んだ。約100か所の工場から数か所を選んで、毎週火、水曜日に「産業観光バスツアー」(一人6000円、昼食付き)を実施している。名古屋市内を出発して、愛知県渥美半島の伊良湖周辺を散策するコースなどがある。視察する工場は、ホンダ鈴鹿製作所、ヤマハグランドピアノ工場など大手から、せんべいやおかきなど地元の食品工場まで、幅広い。女性が約7割、60歳以上が9割以上を占め、年間2000人の動員目標は、ほぼ達成できているという。
また、山口県の宇部、美祢、山陽小野田3市でつくる産業観光推進協議会も、産業観光をツアー化する計画を進めている。瀬戸内海に面した、この地域は古くからセメント産業が発達したが、有名な観光地がないため、炭坑の跡地や、太平洋セメント(旧小野田セメント)の工場などを見学する予定だ。
◇期 待
産業観光は、これまであまり著名でなかった観光地に旅行客を呼び込むきっかけになりそうだ。国民一人あたりの国内宿泊観光旅行の回数は、1991年度をピークに伸び悩び、03年度は1?70回で、06年度も1?73回にとどまっている。
産業観光に取り組む地域や団体を表彰している社団法人?日本観光協会国内振興チームの村上旭さんは「最近の雑学ブームにも乗って、産業観光ツアーは新たな需要を開拓しそうだ」と期待を込める。
旧富岡製糸場など 近代化遺産も集客資源
工場跡地などの「産業遺産」を産業観光に結びつける動きもある。経済産業省は07年11月、日本の近代化に重要な役割を果たした工場跡地などを33の近代化産業遺跡群として認定した。
例えば、「近代製糸業発展」というテーマでは、旧富岡製糸場(群馬県富岡市)、市立岡谷蚕糸博物館(長野県岡谷市)、グンゼ記念館(京都府綾部市)などが認定されており、近代の基幹産業の歩みをたどることができるようになっている。
(2008年3月5日 読売新聞)
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□投稿者/カセイ旅行社 (2008-5-1 17:06:29)
香川?小豆島から イイダコ、太陽のうまみ

イイダコを干す山口みどりさん。豊かな日差しでうまみがぎゅっと濃縮される
海風がひときわ冷たさを増すころ、瀬戸内のイイダコは、産卵期を迎える。たっぷりの卵を抱え、丸々と膨れた姿を思い浮かべながら、東京から飛行機とフェリーを乗り継ぎ、小豆島にやってきた。
ホテルの女将(おかみ)さんの勧めで、土庄港近くのレストラン「海と山の幸 ヒコス」を訪ねると、坂本真也さん(34)が、イイダコの煮付けを出してくれた。味付けには島特産のしょうゆを使い、表面は色よく染まっているが、中の卵は真っ白。「飯(いい)ダコ」という名の由来の通り、見た目といい、歯ごたえといい、小さなおにぎりのよう。かみしめるとほんのり甘いのも、おいしいお米と似ている。
「卵が食べられるのは、3月の半ばごろまでかな。丸ごとおでんに入れたり、菜の花と酢みそ和(あ)えにしたり、色々楽しめますよ」と坂本さん。
小豆島には、もう一つ、この時期だけの味覚がある。土庄(とのしょう)港から車で10分ほどの小江(おえ)漁港で出合えると聞いた。
細い桟橋が3本ほどの小さな港だ。古い家々の前に漁船が浮かぶのどかな集落で、イイダコの天日干しが揺れていた。
近くに住む山口みどりさん(67)が、「こんな小さなものをいちいち開いて干すんは大変なんよ」と笑いながら、乾き具合を確認していた。漁師の夫が、底引き網漁で捕ったイイダコのうち、オスだけを選んで桟橋につるす。卵を持たないため、うまみが身に集まるので、天日干しに向いているのだという。
お願いして作業を見せてもらった。山口さんは、たらいの中でのたうつイイダコをつかむと、やにわに胴の中に親指を突っ込んだ。次々と内臓を抜き出し、出刃包丁で足に縦の切り込みを入れて開く。まだ動いているイイダコに塩を振りかけてもみ、バケツの水でザブザブ洗うとぬめりが取れる。竹の棒に刺してつるせば、2日ほどで程よく乾く。
確かに、なかなか面倒だ。イイダコの天日干しを作る家はほかにも何軒かあるが、ほとんど家族で食べるためなのだそうだ。山口さんが一度に作るのは、100匹程度。ネットを中心に販売し、多めの注文が入ればすぐに品切れになってしまう。
「この辺りの漁師は、夫婦で海へ出るから、こんな手間のかかることはできんのよ。私は、親の介護があるから今は家におるけど、昔は船に乗ってたんやで」
お土産に天日干しをたくさんいただいた。帰宅して、さっそくオーブントースターであぶると、なんとも香ばしいにおいが漂う。
細い足をかみしめれば、小さな吸盤がプチプチとはじけ、濃厚な味わいが広がる。かすかな磯の香りに、春の気配を感じた。
(2008年3月3日 読売新聞)
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□投稿者/カセイ旅行社 (2008-4-28 17:35:45)
移民100年 根付いた日本(サンパウロ=ブラジル)

広大な東山農場のコーヒー畑。澄み渡る夏空がまぶしい
機外に降りた途端、熱風に包まれた。見上げると抜けるような真夏の青空。今更ながら日本とは地球の正反対の地にいることを実感する。
1100万人が暮らす南米一の経済都市らしく、市街地は高層ビルが林立する。気温は連日30度を超すが、湿気が少ないので蒸し暑くない。公園や住宅の庭に咲く赤いハイビスカス、紫のクワレズメイラが美しい。
車で2時間ほど北上し、当地の移民事情を描いたNHKドラマ『ハルとナツ』のロケ地になった「東山農場」を訪ねた。総面積830ヘクタール。東京ドームの176倍だ。高さ2メートルほどのコーヒーの木が実に135万本も植えられ、園内を当たり前のように高速道路が走る。とてつもないスケールに半ばあきれたが、地元ではこれでも“中規模”だという。
オーナーの岩崎透さん(57)らと野外レストランで昼食をとった。鉄ぐしに牛、豚、鶏の肉などを刺し、岩塩を振って炭火で焼くシュラスコが実に香ばしい。相席した取締役の塚本恭子さん(53)は元女優だそう。映画ロケでこの地を訪れ、「様々な人種が融合して生まれる圧倒的パワー」に魅せられ、3年前に東京から移住。「ここに骨をうずめたい」と笑う顔が、たくましく日に焼けていた。
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日本から初めての移民船「笠戸丸」がサントス港に着いたのは1908年(明治41年)だ。以来、25万人の1世が海を渡った。今、ブラジル国内の日系人は150万人とされ、6世もいる。今年は移民100周年の節目だ。
旧市街地の日伯文化協会ビル内にある「ブラジル日本移民史料館」は、移民70周年の78年に開設した。中には移住初期の質素な住宅の模型や使い古した生活用品、農具などが並ぶ。
運営に携わる2世の田中洋典さん(74)が「未知の土地で習慣や言葉、文化の違いを克服した先輩たちの足跡を少しでも感じてほしい」と話す一方、やはり2世でガイドの蒲谷(かばや)リディアさん(37)は「私は祖国がない。日本では『ブラジル人』と見られ、ブラジルでは『日本人』と見られる。互いの国のいい部分を学べるのは幸せだけど」と複雑な表情を浮かべた。
史料館に程近い東洋人街を歩く。韓国、中国からの移住が増える以前は日本人街とも呼ばれた。あちこちに屋根瓦が見え、「ラーメン」「薬局」など日本語の看板も目に付く。明暗はさておき、日系人社会はもはや空気のように街になじんでいる。
最大のビジネス街?パウリスタ大通りには、世界に誇るサンパウロ美術館がある。昨年末、ピカソ作「シュザンヌ?ブロックの肖像画」など2点が盗まれたものの、無事に戻った。たまたま展示が再開された日に足を運ぶと、その2点に市民や取材陣が群がっていた。
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さて、実は個人的な旅のお目当ては本場のボサノバ。小さなライブハウスに入り浸り、3人組のシンプルな生演奏に聴き入る。名曲「イパネマの娘」の心地よい旋律が体中に染み入り、ブラジルの代表的カクテル、40度のカイピリーニャ(サトウキビの蒸留酒をライムで割ったもの)がさらに陶酔へと誘う。
くだんの女性歌手は「どうもありがとう」「ちょっと待ってね」などと何かと日本語で声をかける。こちらもライブを聴き終え、自然と「オブリガード!(ありがとう)」と拍手を送っていた。
(2008年3月3日 読売新聞)
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□投稿者/カセイ旅行社 (2008-4-25 15:43:51)
青海湖に生息しているプルジェワルスキーガゼル
2008-03-03 中国国際放送局

「世界の屋根」と呼ばれる青海チベット高原の東北部にある青海湖は、中国最大の内陸塩湖です。その周りには、大通山、日月山、青海南山が聳えており、非常に美しいところです。あそこにはプルジェワルスキーガゼルという動物が生息しています。
全身は黄褐色で、お尻には一面白い斑点、尻尾は褐色で、胸、腹、四つの足の内側は白い動物です。オスには一対の長い角があります。湖周辺の草原に生息して、群れで行動します。中国特有の野生動物として、もともと内蒙古や、甘粛、寧夏、新疆ウィグル自治区、青海などに広く分布していましたが、現在は青海湖の周辺地域でしか見られません。

ここ数年の保護を通じて、数が増えつつあります。しかし、独特な種として地球で長く生存していくためには、その数はまだまだ少ないのです。つまり、絶滅の危機に瀕しています。この問題は、中国政府と国際社会からの注目を集めています。そのため、中国国家一級保護動物にランクされています。そして、保護のために、青海省の関係部門は一連の措置を講じています。これについて、青海省野生動物自然保護区管理局の高静宇局長は「現在、われわれは関係部門の共同管理や保護プロジェクトを行っている。絶えず努力したことにより、生息環境が改善されており、プルジェワルスキーガゼルの数は1980年代の200頭余りから現在の400頭余りに増えてきた」と紹介しました。
プルジェワルスキーガゼルは非常にすばしこい動物で、怯えたら、お尻の白い毛がすぐ立ちます。それによって、仲間に危険のメッセージを伝えます。だから、見に行くときは必ず事前に望遠鏡を用意したほうがいいです。そして、脅威感を与えないために、絶対車で追いかけないでください。すばしこいといっても、プルジェワルスキーガゼルは人間味を持っています。人間に馴れる、環境になったら、いつも人のそばにいて、甘えたりします。青海湖地区では、牧畜民とプルジェワルスキーガゼルの物語が多くあります。
ハイエン県黄草村に暮らしている朱生福夫婦がプルジェワルスキーガゼルを飼育した物語はよく知られています。2006年5月のある夕方、ヒツジの放牧が終わって、家に帰る朱生福さんは、気息奄々とした小さいプルジェワルスキーガゼルを見つけました。朱さんは、すぐ抱いて、急いで家に帰りました。生まれたばかりなので、ミルクで飼育しなければなりません。朱さん夫婦は毎日市場へ牛乳を買いに行くことにしました。プルジェワルスキーガゼルは見る見るうちに、大きくなってきました。そして、朱さん夫婦とプルジェワルスキーガゼルの間に深い絆が出来ました。特に、奥さんがどこに行っても、必ずついて行きます。ある日、8千元を出し、プルジェワルスキーガゼルを買いたい人が朱さんの家を訪ねましたが、夫婦二人はきっぱりと断りました。プルジェワルスキーガゼルを早く大自然に戻し、その仲間のそばに帰らせるため、最後に夫婦はプルジェワルスキーガゼルを動物保護部門に渡しました。
地元の牧畜民がやさしい心を持って守っています。でも、彼らの力だけでは、絶対足りません。プルジェワルスキーガゼルを長く地球で生息させていくためには、一人一人の力が必要です。
青海湖へのアクセス:
青海湖景観区は高原の湖を主として、草原や、雪山、砂漠などの景観が楽しめるところです。青海省省都の西寧から青海湖への列車があります。また、ドライブが好きな方は、西寧で車を借り、自分で運転して行く事が出来ます。なお、旅行社の青海湖の一日コースに参加することが出来ます。そのコースの費用は一人で70元から100元ぐらいです。
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□投稿者/カセイ旅行社 (2008-4-23 17:05:55)
河回村 韓国 王朝時代へタイムスリップ
河回村に残る伝統家屋。1999年には英国のエリザベス女王も見学に訪れた=韓国?安東で
伝統家屋の景観健在
さほど高くない山を登ること10分余。「うわーっ」。同行の人がみんな、声をあげた。私も目の前に広がる光景に、目を見張った。
河回村(ハフェマウル)は、朝鮮王朝時代の伝統家屋がそっくり残る集落だ。ガイドをしてくれた崔宗燮(チェジョンソブ)さんが、「村を見学する前に」と、対岸の山へ案内してくれた。五月晴れ、はるか前方には緑濃い山々。眼下には、民家や松並木が立ち並ぶ。河回村はまさに名前の通りだった。周囲を川に囲まれ、敵の侵入を受けることなく、その姿を現代まで残している。
河回村のある慶尚北道(キョンサンプクド)は、韓国の歴史を知るには格好の地だ。前日に寄った慶州(キョンジュ)は、千年も続いた新羅の都。「屋根のない博物館」といわれ、街のいたるところに古墳や遺跡がある。世界遺産も2つ抱えており、「仏国寺(プルグクサ)と石窟庵(ソックラム)」はその1つ。現世と釈迦の世界を結ぶという石段や、山中にわざわざ自然石を運んでつくられた石室などを見学した。
対岸の山から見た河回村。川に囲まれているのが一望
そしてこの日は、慶州北部の安東(アンドン)市へ。こちらは朝鮮時代の支配階級、両班(ヤンバン)が暮らした町として有名だ。
市の西郊、河回村に入ると、畑の間にかやぶきや瓦屋根の家が点在する。細い路地や土壁。本当に昔のままの光景で、タイムスリップした気分。村全体が「重要民族資料」になっているのだが、ふと見れば、洗濯物が干してあったり、庭仕事をする人がいたり。ここは、今も230人が暮らす「生きた資料」である。
その夜は、村内の伝統家屋で一泊。門の脇には、門番をかねた使用人たちが暮らした棟があった。母屋はコの字形をしており、昔は儒教のならわしで、男性と女性が別々の部屋で過ごしたという。
窓や出入り口は、日本の古民家と同じく障子。しかし、違うのは引き戸ではなく、開き戸であることと、雨戸がないこと。薄い紙1枚で雨の日は大丈夫だろうか。崔さんが言うには「日本より軒が深いので、意外と大丈夫」。日本より厳しい冬、寒さも心配だが…。その時は、オンドル(韓国式床暖房)が活躍する。電気ではなく、かまどで暖めている家も、まだあるという。
静かな夜。カエルの声だけが耳に届く。屋根の下、壁のないテラスのような空間で、男性陣は一杯。風に吹かれつつ、仕事や喧噪(けんそう)を忘れ、ぜいたくなひとときだ。夜半になったら、急に雨が降ってきて、雷まで鳴り出した。肌寒くなって、ちょっと震えながら飲んでいたというが、ネオンのない夜空に光が瞬く宴は、きっと忘れられないだろう。
実は私たちが泊まったのは、最近、日本でも人気の韓国人俳優リュ?シウォンさんゆかりの家。河回村は、朝鮮時代の大儒学者、柳成龍(リュソンリョン)らを輩出した柳一族の村でもある。韓流ブーム以来、日本人ファンも多く訪れるという。
翌朝、村を散策中、崔さんがおもしろいエピソードを教えてくれた。
村のご神木の周りには、神聖な場を示すしめ縄が張ってあったが、日本人が来て、それをおみくじを結ぶひものようなものだと思っ | |