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西安 兵馬俑 |
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始皇帝陵から東へ1.5キロの地点に、世界八番目の不思議とも呼ばれる兵馬俑坑がある。1974年3月、かんばつに窮した地元農民が井戸を掘り始めたところ、二、三メートル掘ると変わった陶器の破片が見つかった。考古学者の鑑定により、ここに始皇帝の地下近衛軍団が配置されていることが初めてわかった。この偶然の発見によって、地下に二千年も眠っていた世界を驚愕させる兵馬俑がようやく日の目を見た。坑は発掘順序に基づき一合坑、二号坑、三号坑と名づけられた。
最大の一号坑は長さ230メートル、幅62メートル、深さ5メートル、総面積14260平方メートル、兵馬俑の数は約六千体、二号坑は6000平方メートル、俑の数は千体余り、三号坑は500平方メートル、俑の数は58体に過ぎず、規模が一番小さいが、地下軍の司令部に当たる。一号坑は今なお発掘を続けているが、中は土掘によって区切られ、上に丸木を掛け、その上にゴザを敷き、表は2メートルの土で覆われている。前衛部隊とその四方に立っている警備隊に守られ、主力軍は38列に分けられ、東に向かい整然と列を組んでいる。兵隊俑の平均身長は180センチ、上半身は空洞だが下半身は空洞ではない。顔の表情はそれぞれ異なり、身分により服装もまちまちでだが、共通しているのは、いずれも手に武器を握っていることだ。一部の俑にはまだ色彩が残っている。馬の高さは1.5メートルで西域の大宛の馬に似て、足が速いと言われている。兵馬俑はこの場所の付近の粘土を材料にして、彫刻などの手法を施し、最後に窯に入れて焼いて作られた。殉死制度のあった時代に人間に代わって陶製の人形を殉死品とすることから、人類文明の進歩を窺うことができる。
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西安 大雁塔 |
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市の南4キロにある。唐の三代目の高宗李治が皇太子のとき、生母文徳皇后の冥福を祈り648年に建てた慈恩寺の境内に立つ塔で、西安のシンボルである。当時の規模はかなり大きかったが、唐代末期に戦乱のため焼き払われ、現存するのは当時の十分の一に過ぎない。
652年にインドから帰った玄奘三蔵法師の願いにより、境内に大雁塔を建て経典を保存することにした。塔は煉瓦でできており、当初は五層の塔であったが、則天武后の時代に大改造を行い十層になった。しかし、戦乱などで上部が崩壊し、現在は七層で、高さは64メートルしかない。内部の木製のらせん階段を登ると、最上部まで行くことができる。
塔の入口の両側には、玄奘三蔵法師の功徳をたたえるために、太宗と高宗の筆による「大唐三蔵聖教序」と「大唐三蔵聖教序記」と書かれた石碑が納められている。
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西安 陝西歴史博物館 |
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唐代の建築様式を取り入れた大規模な博物館で、収蔵点数37万点。そのうちの六千点が常時展示されている。原始社会から明の時代までの長い歴史を代表する貴重な文化財がここにまとまって収蔵されているので、中国の五千年の歴史を一度に巡ることができる。特に注目を集めているのは唐代の壁画展示で、300平方メートルの唐代の壁画から34枚を厳選し公開している。いずれも中国では最高級のレベルに達している。これらの壁画には宮廷生活や楽隊、儀仗隊、狩猟風景などが多彩に描かれている。これらは、中国古代絵画の最も重要な遺産である。
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西安 鐘樓 |
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西安の中心地、城壁内にある木造建築で、すでに600年の歴史がある。高さは36メートル。見た目は三階あるように見えるが、中に入って見ると二階しかない。釘を一切使わず、継ぎ目のない一本柱様式の珍しい建物である。上部には大きな鐘が一つ吊るされ、昔はは人々に時を知らせていたという。
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西安 半坡遺跡 |
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市街地から東へ6キロ離れた産河の東側にある。1953年に発見された、新石器時代の仰韶文化の村落遺跡をドームで覆ってそのまま博物館にしたもので、黄河流域においける比較的整った形で保存されている典型的な母系制社会の村落遺跡である。すでに六千年ぐらいの歴史を持っている。遺跡の敷地面積は5万平方メートルあり、居住区と墓葬区に分かれている。博物館は1958年に開館した。遺跡自体は全国重点文物保護単位に指定されている。
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西安 華清池 |
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市内から東へ30キロ行った郊外の驪山のふもとにある有名な温泉池である。周代から三千年以上の歴史を持つ。歴代の皇帝も、ここを行楽地として大掛かりな造営をした。唐代の玄宗皇帝と楊貴妃のロマンスがこの地を最も有名にしている。「春寒くして浴を賜う華清の池、温泉の水滑らかに凝脂を洗う。」白楽天の「長恨歌」は二人の愛情を如実に歌うと同時に二人の贅沢を極めた生活振りをも反映している。楊貴妃が入浴したとされる「海棠湯」は、海棠の花の形をしている。玄宗が入ったといわれている「蓮花湯」と「海棠湯」、「星辰湯」は復元され華清宮御湯遺跡博物館として一般公開されている。湯泉は、現在でも入浴でき、リューマチや関節炎に効果があるという。華清池は、1936年に西安事件が起きた場所としても有名である。
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西安 法門寺 |
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西安から130キロ離れた扶風県にある。漢代に創建された後、歴代にわたり増築され、唐代に入り、一大皇族寺院として発展した。1519年に建立された13階建ての碑塔が数年前に倒れ、それを修復する際に、地下宮殿が発見された。出土物は釈迦の指舎利をはじめ、金銀製品、ガラス、絹織物など121点ほどある。中国最古の茶道具も多数発見され、新設の博物館に展示されている。
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西安 陝西省博物館(碑林博物館) |
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宋の時代に建てられた孔子廟を利用した博物館で、歴代書家の石碑を数多く収集、展示している。館内は「西安碑林」「歴史陳列」「石刻芸術」に分かれている。漢代から清代にかけての石碑のコレクションは「西安碑林」と呼ばれ、この博物館の展示物のなかで最も有名。王義之、欧陽詢、顔真卿、虞世南など、書道の大家の作品が立ち並んでいるほか、玄宗皇帝の書もあり、中国最大の書道芸術の宝庫といえる。また、キリスト教の伝来を伝える「大秦景教流行中国碑」も見逃せない。
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西安 青龍寺 |
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市の東南部、楽遊原にあり、582年に創建された。元の名前はは霊感寺といったが、711年に青龍寺と改名された。唐の時代にはかなり有名な寺院であったようで、日本との縁も深い。著名な「入唐八家」のうち、六名の僧侶がここで仏教を学んだ。最も有名なのは空海である。空海はここで恵果法師を師として、密宗を伝習した。1981年、日本仏教界は青龍寺の境内に、空海記念堂と空海記念塔を建立した。
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西安 小雁塔 |
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市内の南門から約3キロのところにある。長安のほぼ中心に位置する高さ43.3メートルの塔で、薦福寺の境内に建っている。大雁塔と比べて小さいことからこの名がついた。薦福寺は、684年、則天武后が高宗の崩御百日忌に、その冥福を祈るために、創建した寺であるが、現在は寺院建築は残されていない。当時の塔は15階建てであったが、地震で二階部分が崩れ、現在では13階建てになっている。
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西安 大興善寺 |
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市の南郊外にあり、1600年の歴史を持つ寺院である。716〜720年、インドの僧侶善無畏、金智剛、 不空らがここで密宗経典を翻訳し、密教を伝授したこと により、中国密教の発祥地とされている。寺院の敷地は広く、唐代や宋代に造られた仏像をはじめ、彫刻芸術品、仏教建築の遺跡などが数多く残されている。現在重要文化財に指定されている。
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西安 草堂寺 |
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1500年以上の歴史を有する日蓮宗の名刹。境内は広くて静寂である。竹林に覆われたその一角に、古い温泉の井戸がある。その湯気が立ち上る秋冬の朝夕の景色は霞水に包まれている。昔の人はこれを草堂煙霧と呼びんでいた。「関中八景」の一つに数えられている。 |