荊州では天下取りの為の熾烈な争奪戦が繰り広げられた。208年曹操は南下して、劉表の所に身を寄せていた劉備を追撃し当陽で徹底的に潰したが、赤壁の戦いでは孫権、劉備連合軍に大打撃を受け、雨と泥の華容道を経て江陵に退却した。 曹操は曹仁、徐晃らに江陵城を守らせ、自身は許昌に帰った。周瑜と程普は曹仁と対陣、甘寧に夷陵を占拠させ、さらに呂蒙と周瑜がこれを助けて北岸に陣取り、ついに曹仁は退却し荊州は呉のものとなった。209年の末、劉備は呉に荊州を借りホウ統を得て四川に入り、諸葛亮、張飛、趙雲、関羽らに荊州を守らせた。215年にホウ統が益州進攻中に亡くなると諸葛亮らは四川に向い、関羽のみが荊州に残った。