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三国志故事・成語

1、 疎きは親しきを間てず(うときはしたしきをへだてす)
  この語は間柄の疎遠な者は親密な間柄のものに口をださないという意味で、「演義」では袁術の将紀霊が袁術に呂布の娘と袁術の息子の縁談を持ちかけて親密な間柄を結び、劉備に口を出させないようにしようとした作戦をこうのように呼ぶ。
  荊州の劉キから身の振り方を相談された時に諸葛亮もこの言葉を用いて口出しは避けようとした。

2、えんじゃくいずくんぞこうこくのこころざしをしらんや(燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや)
  意味としては人に雇われて、低空飛行の小さい鳥には、大空高く舞う鴻鵠(おおきな鳥)の考えは理解できないだろうと言う意味で、「演義」では、董卓の暗殺に失敗して逃げた曹操が捕らえられた時にそこの県令である陳宮にこの言葉を言い、その志を感じた陳宮は官をすてて、曹操と共に逃亡している。

3、彼を知り、己を知れば、百戦百勝(かれをしり。おのれをしれば、ひゃくせんひゃくしょう)
  兵法書である「孫子」にある言葉の引用であり、魏の鍾ヨウが出典を明示している。

4、帰師、おおう勿れ、窮寇、追う莫(れきし、おおうなかれ、きゅうこう、おうなかれ)
  兵法書である「孫子」に「帰師、とどむる勿れ」「窮寇、迫る勿れ」と見える。帰ってゆく敵の軍(帰師)は、無事に帰りたい一心で戦うから強いので、それをとどめてはいけない。追い詰められた状態にある敵は必死だから、安易に追ってはいけない、という意味です。
  街亭を奪い蜀軍の追撃にかかる魏の司馬懿が、この言葉を「兵法に云う」として引用している。そして配下の将に注意して追うように命じている。

5、 兄弟は手足の如く、妻子は衣服の如し(きょうだいはてあしのごとく、さいしはいふくのごとし)
  この言葉は「演義」にだけ見られる言葉で劉備が引用している。酒で過ちを犯した張飛に対しての言葉で呂布に留守を預かる張飛だが禁酒の誓いを破り呂布に徐州の城を奪われてしまう。自ら首をはねようとする張飛に向かい劉備がこう言った。
  「衣服の破れは縫ってつくろえるが、手足を切断してしまえば二度とつながらない」と。。
  ただ。この言葉は劉備は引用としているが唐の時代の李華の文に見えることから時代の前後から考えると変になってしまう。これはむしろ「三国志演義」での劉備の名言として扱うのが妥当ではないかと思う。

6、鶏肋(けいろく)
  鶏の肋骨にあるわずかな肉の事で、肉そのものを食べるほどではないが「だし」はとれる。
  漢中をめぐり長期の対陣となった曹操と劉備、曹操は引き上げるかどうかを非常に迷っていた。このまま対陣していても勝てそうにもない状況であるが逆に漢中は非常に欲しい。
  ある時の食事で鶏の肋骨を見て考えていた所に夏侯惇が軍令を聞きにきた。思わず曹操は「鶏肋」と答えたのだが夏侯惇にはさっぱりわからず楊修に尋ねると答えはでた。「退却の意味」であった。
  曹操は楊修に自分の考えを見抜かれているようでそれが気に入らないので彼を処刑した。
  通常はこの言葉は「たいして役には立たないが捨ててしまうと考えるともったいない気もする」という意味で用いられる事が多いようである。

7、呉下の阿蒙にあらず(ごかのあもうにあらず)
  「呉志」呂蒙伝に付けられたハイ松之の注に引く、「江表伝」に見える言葉で演義には見えない。
  この言葉の意味は、「呉の蒙ちゃんではない」という意味で、つまり呂蒙を誉めた言葉である。
  呂蒙が猛勉強をして高い見識を身につけた事を知った魯粛が「もはや君は以前の蒙ちゃんではない」と評している。この為に無学の文官を「呉下の阿蒙」と呼ぶ。
  このあとに呂蒙は魯粛に対して、「士、別れて三日なれば、すなわち更にかつもくして相待て」とも言った。 これも有名な言葉ではあるが、いずれも「三国志演義」には見えない。この話しは実は「十八史略」によって有名な言葉である。何故、「演義」がこの事に一切触れていないかはおそらく呂蒙は関羽の仇であるので、さすがに彼をあまり誉めるわけにはいかなかったのではないのであろう。。あくまでも推測ですが。

8、虎チ(こち)
  魏の猛将である「許チョ」のニックネームで、おそらく「許チョ」と「虎チ」も発音が似ている所から、洒落として当時は言われていたと言われるが、私にはあまり解らないのでコメントは控えます。

9、 三顧の礼(さんこのれい)
  劉備が諸葛亮の草庵を三度訪ねた招いた故事です。
諸葛亮の「出師の表」に三顧の文字はあるのですが、史料として具体的に書いてあるものはないようです。
「演義」では、水鏡先生こと司馬徽に諸葛亮を推薦された劉備が、関羽・張飛をつれて草庵を訪ねたが、出かけているようで留守。数日後に出直したが途中から吹雪になるも草庵にたどり着く。しかし、この時も不在であった。
翌年にまた訪ねようとする劉備を、関羽・張飛は、「そこまですることはない」と止めるが、結局3人で出かけることになる。
  今度は諸葛亮は在宅していたが、昼寝中であった。
劉備はこれを目が覚めるまで辛抱強く庭でまっていた。
目覚めた、諸葛亮はその劉備の行動に深く感じて以後仕えることになり、忠節を尽くすことになった。

10、 人中の呂布、馬中の赤兎(じんちゅうのりょふ、ばちゅうのせきと)
  ほめ言葉になるのですが、虎牢関の戦いの時に紫金(赤銅)の冠をかぶり、紅錦の陣羽織、獣面呑頭の模様のある鎧を身につけて、赤兎馬にまたがりかける姿の見事さを評した文です。
この言葉は、陳寿の「魏志」の呂布伝に引かれた「曹マン伝」にある、「人中に呂布有り、馬中に赤兎有り」とあります。

11、桃園の誓い(とうえんのちかい)
  三国志でもかなり有名な言葉で、史実にはない。
劉備・関羽・張飛の3人は旗揚げの時に張飛の屋敷の裏の桃畑で誓いをたて、劉備を長兄・関羽・張飛の順に義兄弟の契りを結んだ。演義では非常に重要な場面で3人はこの誓いを忘れることはなかった。


 

 

 
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