 |
大同 九龍壁 |
|
|
大同市市街の東街にある。1392年、明の太祖朱元璋の第13子朱桂の屋敷の前に建てられた影壁(寺廟や大邸宅の大門の外側に立てられる壁)。邸宅は兵火で破壊され、九龍壁だけが残っている。長さは45.5メートル、高さ8メートル、厚さ2メートル。下部は須弥壇で、束腰の部分に獅子、虎、象、唐獅子、麟麟、天馬等の動物が彫られており、その姿はそれぞれ異なり、躍動的である。頂部は木造建築に似せて、寄棟造りの屋根には棟飾りが備わる。壁面には高貴な者のシンボルである9匹の巨大な龍が五彩(黄・縁・朱・紫・藍)の彩色琉璃瓦の部材で積み上げられ描かれている。前には倒影池があり、壁の竜が水中に映ると、まるで生きているように見える。中国に現存する九龍壁は三つあり、大同のほかには北京の故宮と北海公園にある。
 |
大同 善化寺 |
|
|
一般に南寺と呼ばれており、大同市の市街の南部にある。唐代の創建で、当時は開元寺と名づけられたが、五代の後晋代に大晋恩寺と改称された。1122年に兵火に遭い、ほとんどが破壊されたが、金代初期、住職の円満大師が再建した。明代に再び修理がなされ、1445年に現在の名称となった。寺院は南に面し、敷地は1万4000平方メートルと広大で、山門や三聖殿、大雄宝殿などが保存されている。中でも大雄宝殿は雄大である。建築様式は、遼(契丹族)や金(女真族)の意匠を色濃く映している。寺内には遼・金代の塑像30数体があり、中でも金代の塑像が佳作として知られている。
 |
大同 華厳寺 |
|
|
大同市の西部にある。同じ場所に上下二つの華厳寺が建てられているが、別のものである。それぞれ、遼・金代の中国における華厳宗の重要寺院の一つである。
上華厳寺の大雄宝殿は中国でも有数の伽藍のひとつといわれ、遼・金代の建物としては現存する最大規模のものといわれている。また、軒高9.5メートルの寄棟造りの屋根におかれた琉璃製の瓦もすばらしい。殿内には明代の5体の仏、20本の諸天の塑像があるほか、清代の壁画も保存されている。下華厳寺の主要な建物である薄伽教蔵殿には、遼代の塑像が31体安置され、いずれも中国仏教芸術を代表する逸品といわれる。華厳寺内には、大同市博物館があり、その収蔵物は北魏の出土文物、遼代の芸術品に特徴がある。
 |
大同 観音堂 |
|
|
大同市の西郊外8キロのところにある。遼の重煕年間(1032-1055)の創建だが、清代初期に兵火に遭い、順治8年(1651)に再建された。中軸線に沿って戯台(舞台)・中門・正殿と三真殿が並ぶ。やや東の山門の前には明代の三龍の琉璃影壁が立つ。正殿には遼代の石像16体が安置される。
 |
大同 雲崗石窟 |
|
|
大同市の市街西方16キロの武州山南麓にある東西1キロにわたる石窟寺院。現存のメインの洞窟は53窟。石像は5万1000体にのぼり、中国最大の石窟の一つであるばかりでなく、世界的にも有名な石窟芸術の宝庫である。
太和19年(495)の洛陽遷都の前にほぼ現在の形になっている。中国三大石窟中、この石窟は石像の雄大さと内容の豊富さで現在でも高い芸術的魅力を持つ。他の二つは、洛陽の龍門石窟と敦煌の莫高窟であるが、「敦煌の美術、雲龍の彫刻」などと比較対照される。
雲崗石窟の中で最も古いのが、曇曜五窟(16-20窟)で、これらは、北魏五代の皇帝(道武・明元・太武・景穆・文成)の姿を模して作られたといわれる。なかでも、第20窟の露出した大仏は雲崗石窟の象徴ともなっている。これらの仏像は、薄い法衣をまとい、ガンダーラ様式が中央アジアを経て中国に伝わり、河西回廊で中国に定着してゆく過程での意匠を示していて興味深い。
また、第5・6窟は、一対窟となっており、第5窟の中央の座仏は高さ17メートルで最大。第6窟の壁面には仏・菩薩・羅漢・飛天、天井には三十三天神と騎馬人が彫られ、雲崗芸術の逸品ともいわれる。
 |
大同 懸空寺 |
|
|
渾源県の県城南方5キロ、恒山の主峰・天峰嶺の渓谷にある。岩にへばりつくように造られた寺院で、北魏代末期(6世紀初頭)の創建。谷底から26メートル上の絶壁に穴を穿ち、梁をさしこんで土台とし、その上に建物を建てた。そのため、山腹に張り付くように楼閣殿宇が展開し、その間を桟道で結ぶ。寺の下は急流で、建物は文字通り空に懸かっているように見える。銅鋳・鉄鋳・泥塑・石彫など80体余りの仏像を擁し、壁には代々の名士の題詠が彫られている。もっとも高いところに造られている三教殿には、釈迦、老子、孔子の塑像が並べて祀られている。
|