天壇公園の歴史
中国人は昔から、「天」は至上のものであり、万物を支配するという最高権威と考えてきた。皇帝は、「天命」を受けた「天子」であった。「君たる者は、天を父とし、地を母とし、民を子とする。これみな職分として尽くすべきところである」(明の初代皇帝?朱元璋の言葉) 説明のつかないことを「天意」と言うし、旗を掲げて一揆を起こす者たちは、「天に替わって道を行う」と気勢をあげる。「天意」に背いて行えば、天が怒って「天譴」(天罰)をくだし、自然の前の人間は、「天命」に従うほかない――。こうして昔の人々は、神殿を建て、天神を祭り、圜丘(円形の壇)を造り、盛大な祭天(天を祭る)儀式を執り行って、天神の加護を祈ったのだ。天壇は昔、天を祭った場所である。人々は天に祈願ができたが、天を祭るのは天子だけの特権だった。中国の正史『二十四史』の「帝王本紀」に、祭天儀式の様子が毎年のように記載され、三皇五帝(中国の伝説上の帝王たち)が盛大に執り行ったと今に伝える。
現存する祭天台は、最古のもので6000年の歴史をほこる。2000年以上前に編まれた礼書の『周礼』には、祭天の儀礼制度が示されている。こうした祭天活動は、封建制の社会では一貫して行われていた。儀礼制度が整うにつれ、祭天用の建築物もしだいに規模を拡大したのだ。
天壇は、明の永楽4~18年(1406~1420年)に建設された。はじめは「天地壇」と呼ばれたとおり、天と地をいっしょに祭った。明の嘉靖9年(1530年)には、別の地に「方沢壇」(地壇)を建築し、天と地を分けて祭った。
清の乾隆年間(1736~1850年)になると、増改築が進められた。天壇は明?清代の皇帝が、天を祭って豊穣を祈る場として造ったものだ。建設されてから数百年の間、二十数人の皇帝が、盛大な祭典儀式を行ったのだ。
1918年、天壇は公園として一般市民に開放された。現在は世界的にも有名な観光スポットとなっている。外国人にとっては中国のシンボルであり、中国人にとっては北京のシンボル、また北京の人たちにとっては「老北京」(オールド?ペキン)のシンボルでもある。
中国国家観光局より




