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石碑坊と無字碑

石碑坊 十三陵一帯の「陵園」から南へ7キロ下ったところに、6本の柱と5つの門、11の棟をもつ漢白玉製の「石碑坊」がそびえ立っている。これが、十三陵の南端にある最初の建築物である。その碑坊の後方(北側)が三つの門をもつ「大紅門」で、これが陵園の正門である。この門をくぐり、陵園に入るのだが、大紅門の門前にある石碑には、「官員人等至此下馬」(役人らはここに至りて下馬せよ)という8文字が刻まれている。かつて大紅門の左右には、長さ40キロの壁が巡らされ、それは陵園を取り囲んでいた。今ではほとんど崩れ落ち、残壁がわずかに見られるだけだ。
大紅門をくぐると、長陵に向かう「神道」(参道)となる。陵園全体における主だった神道だ。神道にある最初の建物は、高さ25?14メートルの「碑亭」で、亭内には高さ7?91メートルの石碑「大明長陵神功聖徳碑」が建てられている。石碑には3500字あまりの碑文があるが、これは明の仁宗?朱高熾が、その父、成祖?朱棣のためにつくったものだ。

大紅門 十三陵では、これを除いた陵墓前の石碑はすべて「無字碑」である。この不思議な現象には、ある歴史が隠されている。明の太祖?朱元璋はかつて「亡くなった皇帝の陵碑の碑文は、かならずその後継ぎの皇帝が記さなければならない」という規則を定めた。しかし、長陵以降の献、景、裕、茂、泰、康の各陵墓の陵門前には、建築時に碑亭と石碑が建てられなかった。現在、これらの前にある石碑はみな明の仁宗?嘉靖年間に増築されたものである。そのため、碑文は嘉靖帝が記すはずであったが、彼は執政をきらった暗愚の君主であった。それほど多くの碑文を記すという気持ちがどこにあったろう。それで碑文は空白になった。のちの皇帝も多くは暗愚の君主であり、嘉靖帝のやり方を真似たために、それらの無字碑が残された。

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